夢を見た。
いつもの通学路、桜並木を歩いている。
桜吹雪が舞っていたから、春、なんだろう。
目の前を、何人もの知り合いが通り過ぎていく。
クラスメイト、卒業した先輩、小学校卒業してから、会っていない友人…。
声をかけたけたかったれど、なぜか声が出ない。
みんな、慎一郎に気付かずに、通り過ぎていく。
数メートル先に、恵太と詩織の背中が見えた。
やはり叫んでも声は出なかったから、走って追いかけ、背中を軽くたたく。
振り返った二人の顔は、表情は、かすみがかっていてよく見えなかった。
二人のさらに前方に、ずっと探していた人がいた。
ああ、あの人だ。会いたかったんだ。
あの人にあえたから、もう大丈夫。もう、こわくない…
走り出した。
もう少しで追い付く。ふいに、その人が振り向く。
その瞬間、足元が、ふっと消えた。
「―――あっ!」
自分の声で目が覚めた。
目の前に、真っ暗な闇が広がっている。
まだ、真夜中なのだろう。
心臓がどくどくと嫌なとどろき方をしている。
―――何の夢か忘れてしまったけど、ひどく悲しい夢だった気がする。
腕を目に押し付けて、じっとしていた。
2月に入って、3年生の受験が本格化した。
先生たちもこの時期は忙しいし、大きな大会はないしで、部活にはあまり力がはいらない。
この週末は、3年生の担任の先生がインフルエンザで次々と倒れ、代わりに、剣道部の顧問が何かの会議だか何だかに駆り出されたとのことで、部活は中止になってしまった。
1年後には自分も当事者なのだから、こういう日こそ勉強すればいい。
そうだ、千鶴と図書館でも行こうか―――
だめだ。
先日、感情のままに千鶴にあたってしまってから、一言も口を利いていない。
というより、最近は、慎一郎のほうが千鶴を避けてしまっていた。
いまはなんの弁解もせず、慎一郎を放っておく千鶴が、こわい。
もしかしたらもう、愛想をつかされているかもしれない。
もう千鶴の中では、終わったことになっているのかもしれない。
もう久保田先生の弟と、つきあっているのかも知れない。
どす黒い、嫌な感情が、のど元まで迫る。
なんでこんなことになっちゃったんだ。
一つ大きくためいきを吐いて、のろのろと身を起こし、パジャマ代わりのスウェットを脱いだ。
部活はないが、ここのところ怪我で思いっきり動けず物足りない気がしていたので、
素振りだけでもと思い、学校へ向かった。
運動部はほとんど活動していないのか、校庭には人気がない。
比較的休まず活動するので有名な吹奏楽部も、今日は休みのようだった。なんの楽器の音もしない。
合唱部のコーラスが、かろうじて漏れ聞こえるくらいだった。
ひとがいないと、学校ってこんなにも静かな場所なのか。
ひどくさみしい気がした。
もしここに、心の赦せる人が一人もいなかったらきっと、不安で怖くてたまらないだろう。
そんなことを考えて、自分が情けなくなった。
校舎の裏に武道場はある。
近くまで行くと、引き戸が少し開いているのが見えた。
誰か、来ているのだ。
自分以外に、自主練習をする人物に、心当たりは一人しかいなかった。
そっと覗きこむと、やはり、千鶴だった。
休日なのに、ちゃんと胴着と袴を着て、素振りをしている。
声も出さず、ペースもゆっくりだが、一振りに意思があるような、丁寧な太刀だった。
ひどく、きれいだった。
初めは明るくて元気な千鶴だから好きだった。
自分は根暗で人見知りだったから。正反対の宮沢や千鶴に惹かれたのだと思う。
けれど、いろんな千鶴を見ていたから。
泣いたり、笑ったり。
悲しんで、喜んで、共有して。
真面目だったり、ふざけていたり、いいかげんなくせに、義理堅かったり
いろんな顔を持つ千鶴を知って、
そのどれもが好きだ。
好きだ。
「慎一郎」
いつの間にか道場の入口に胡坐をかいて座る慎一郎に千鶴が気付いた。
やだないつからいたの、と言いながら、腕でこめかみの汗をぬぐう。
「15分くらい前かな」
「いや、声かけてよ」
「集中してたから。邪魔したくなくて」
「そう…。え、どうしたの」
「俺も自主連しようと思ったら、先に千鶴がいたんだよ」
よかった、と思わずこぼすと、千鶴が訝しげに首をかしいだ。
「なんとなく…だけど、誰もいなかったら、きっとめちゃ寂しかったなと思ってさ」
話し始めると、止まらなくなってしまった。
「今朝、なんかこわい夢見たんだよ。知り合いがみんな俺のこと追い越して言っちゃう夢。俺、声がでなくて、誰にも気づいてもらえなくて。そしたら目の前に、ずっと探していた人がいて、追いかけるの。でも、追いつく前に足元にぽっかり穴があいて、そこに落ちる夢」
落ちて、目覚めた。
「それで、びくっとして起きる時、ない?」
「あ、あるある。ジェットコースターで下降したり、階段踏み外す夢もある。それって、筋肉が疲れてるときに起こるんだって」
「そうなんだ。それで起きるの、なんか気持ち悪いんだよな」
わかる、と言って千鶴がほほ笑んだ。
ずいぶんと大人びた笑みだった。
しかし急に真顔になった。
「でも、それって筋肉が疲れてるだけだから」
「ん?」
「足元に穴なんかないから。慎一郎、大丈夫だよ。心配しなくてもだいじょーぶ」
ね?と言われて微笑まれて、急に泣きたくなった。
千鶴は。
きれいになった。
大人になった。
―――強くなった。
「しばらく話してなかったよね、私たち。その間、ちょっと考えてみようと思ったの。自分自身のこと。ちゃんと考えなきゃと思って」
でもあんまりうまくいかないから、何にも考えないように素振りしに来たの。
「だってここ何ヶ月も、ずっと慎一郎のことばっか考えていたから」
なんかそのくらい、好きになっちゃってたみたい。
「だからこわいとかさみしいとか、全部大丈夫だよ。私がいるんだから」
ね?とまた微笑まれる。
「俺は…
千鶴は、なんかどんどん先に行く気がして」
そう、部活に、勉強に、精神的に大人になってく千鶴に追い付けなくなっていく気がした。
「それでちょっと焦ったのかも知れない……このあいだは、ごめん」
素直に言葉が出てきた。
先生の弟がどうとか、見知らぬ女子の話とか、もう何も気にならなかった。
千鶴があはっと笑う。
「それじゃ、私たちずーっとおんなじところを回ってるんだね。
私は、先を行く慎一郎に追い付きたくって頑張ってるんだもん」
どおりで地球はまるいはずだね
と、千鶴が笑うので
なんだか何も心配なことはなかったような気がした。
「…一緒に帰ろうか」
「うん。すぐ着替えてくるから、ちょっと待ってて」
「急がなくていいよ。―――ゆっくりでいいよ」
いつもの二人に戻って、ゆっくりと歩いて帰った。
もうすぐ3月だとか、そしたら次はもう受験生だとか、
でも4人で受験勉強するのも楽しみだとか、春になったら花見をしようとか。
久しぶりにする話がとても心地よくて嬉しかった。
その夜はぐっすりと眠れて、なんだか幸せな夢をみた。
ずっと探して追いかけていた大好きなひとが、隣でこういってくれたのだ。
「もうすぐ、春だね」
~END~