始まります!デジコロプロジェクト@クラウドファンディング
思い起こすと。。。
6年くらい前にオット君の及川が会社の自室に引きこもりiPadの上で何かをやり始めた。
カッコよく言えば開発に着手をしていた。。。。ということかなww
通常業務でめちゃくちゃ忙しい中で、関係ないことをずーっとやってるので、
スタッフによく怒られたりしていた「ボス!企画書書いてからにしてください!」って・・・
でも、それが知育玩具「デジコロ」の始まりです。
それから手に握る感触、サイズ、球状、素材、安全性・・・
沢山の問題をクリアし何度も試作を繰り返し、課題を乗り越えて・・・
及川の決して諦めない妥協しない性格だからこそ、ユニークで新感覚の世界初のおもちゃとして開発されました。
同時に球型タッチペンとして日本、EU、USA、中国、韓国、台湾、香港などで意匠特許を取得しました。現在、技術特許も申請中です。
そして、一昨年についに完成!
まず腕試しとして一昨年2月にドイツの世界一のおもちゃ博覧会シュピールヴァーレンメ ッセにニューカマーとして出展。(ニューカマーというのは注目の新製品っていうことです)
現地のメディアにも紹介されるなど手応えを感じて帰国しました。
当時、ブログでも書いたはず。
そして昨年。
ちょうど一年前の6月です。
東京おもちゃショー及び国際ベビー&キッズEXPOの2つの展示会に出展。
一般デーでは子供達が並んで遊んでくれました
嬉しかったな!!!
「iPadで遊ぶ世界初のおもちゃ」として大変ご好評いただき、各方面からたくさんのお問い合わせやアプローチも受けて、デジコロのスタッフ一同、発売に向けてのスタート地点に立つことが出来ました。
NHK WORLD で選ばれて取材を受け世界中で放送されました!
と同時に「このままでは足りない!発売するにはもっとより多くのアプリの開発が絶対に必要!」とわかったのも確かです!!
アプリの数だけ遊びが広がるデジコロですから当然です。
そこで、発売を延期してアプリ開発に専念することに。
それまでに作っていた試作アプリをさらにブラッシュアップし、またデジコロを象徴するコンテンツとなるような新作アプリの開発に着手。
開発費をなんとかしなくちゃ!と奮起して、アプリ開発では難しいとされる助成金もコンサルに頼まず自力でゲット!
(これって実はかなり難しいらしい。さすが私www)
そして、及川の拘りと天才プログラマーとの出会いもあり、デジコロ独自の楽しさを持つオリジナルアプリがいくつも誕生しました!
プロダクツに関しても、パッケージをエコの視点からプラスチックをやめて紙製に変更。
試行錯誤を経てさらに洗練されたパッケージデザインが完成しました
オリジナルのアプリ開発やパッケージ等あらゆる面で再考再確認の日々を経て、デジコロをより楽しく充実させ るために約1年
こうして、デジコロはいつでも世界に飛び出す準備が整いました
その第一歩としてMakuakeにてクラウドファンディングを始めました。
Makuakeの社長ともお会いして「正にクラウドファンディング向けのガジェットですね!」と言ってくださったのです!
3月には始めたかったものの、コロナ禍の影響を考えタイミングを待ちわびていましたが、
ついに6月22日、今日からスタートします。
こちらから
https://www.makuake.com/project/digicoro/
ぜひこの機会にクラウドファンディングにご支援ください。
ベンチャー企業としてスタートアップするデジコロをどうぞ応援してくださーい。
同時にデジコロのウェブサイトもリニューアルしました。
モデルの可愛いルナちゃんがデジコロで遊んでいるムービーや、アプリのムービーも見れます。まさにデジタルとアナログの融合というコンセプトそのままです。
東京おもちゃショーの展示会から1年もかかってしまった・・・
やっとです・・・ようやくです・・・涙が出ます
関係者の皆様、アプリ開発の仲間、デジコロが面白いと遊んでくれた子供達、
お待たせいたしました。
皆様のおかげで今度こそスタート地点に立てています。
今こそ、最高のタイミングです!
ということで、クラファン宜しくお願いします!
https://www.makuake.com/project/digicoro/
2020はオンラインでマルシェ月間
昨年の6月のマルシェ。
楽しかったなぁ!お天気にも恵まれて
2日間で500人くらいのお客様も来てくれて、出店者の皆んなやスタッフの皆んなもニコニコ。
マルシェでは普段なかなか会えないお友達も来てくれたりするので、それもとっても嬉しい。
(昨年は5年ぶりくらいの友達に会えて泣いちゃったw)
皆んな楽しそうだww
またこうして開催できるにはいつになるだろう。。。
とはいえ、がっかりしていても仕方がない。自粛はまだまだ続くでしょう。
楽しいことをしなくちゃね!
と言うことで、今回のマルシェはオンラインでマルシェ月間になります。
ショップは日々増えていく予定ですのでのぞいてみてください。
犬に殺処分反対のTシャツも作りました。
昨年のが好評でしたので、私がまた描いたイラストです
コパトーンという日焼け用オイルがあって、小さな女の子のパンツをワンコがくわえて引っ張っている可愛いイラストがあるんですが。。。私たちの世代はよく知ってるかとww
思えば昔はオイル塗って頑張って日焼けしてたよね〜
これ
これをヒントに描きましたww
なかなか好評でまた嬉しいです。
売り上げは全額寄付となりますので、ぜひご協力ください。
フランス製のキラキラな靴や、マルシェでも大人気のヘビロテシャツや、
家庭画報の通販でも販売されることになったマダムズオリジナルバッグ!
ザニー氏の新スキンケアブランドもオンラインで購入出来ます。
在庫の水牛ペンダントもセールになります!
ちょこちょこのぞいてみてくださいね。
またマルシェで皆様とお会いする日を心から楽しみにしています。
では皆様できるだけstayhome頑張りましょう!
コーヒーマルチスタイル by BLENDY❣️
緊急事態宣言の中で。。
5月末までステイホーム❗️読書と映画三昧な毎日❣️
あれから1ヶ月半!
「こんな時だからこそ」
というブログを書いたのが3月3日。
あの時は、まさかリモートワークがこんなに続くとは思ってもいなかった。
事実、リモートワークもこれだけ続くと
「あれ?大丈夫じゃん?」って思っている会社も人もいるでしょう。
企業も人も固定概念も変わるだろうね。
東京以外でも可能な企業は移転したり、
人も山梨や千葉にい広い仕事場のある家を建てて住むようになるんじゃないかしら。。。
子供は伸び伸びと自然の中で育ち、
家族の時間も増えて、
仕事で毎日会社に行くことも必要じゃなく
何よりあの地獄のような東京の満員電車は無くなるかもしれない。
人の暮らし方も風景も変わる。
コロナが終わる時には色々な価値観ががらりと変わっているだろう。
もう元には戻れないからね。
そう思った方がいい。
今は来るべき未来のことを考える時。
わたしはもう次の作戦にワクワクしています!
時代が大きく変わる今のタイミングに私たちは生きています。
これにはきっと意味があるのです。
ということで、、、、
日々、自然の中で静かに過ごしています。
この静けさが心を癒してくれます。
山の中ですので、別荘地とはいえほとんどの家は誰もいないし夜は真っ暗。
東京の明るい夜に慣れっこのせいで
最初は真っ暗な森の奥がちょっと怖かったりしたのですけど
今はすっかり慣れました。
真夜中の子鹿の鳴き声もびっくりしていたけれど、もう平気です。
月明かりで影が出来るほどの明るい夜もあります。
満天の星もあります。
澄み切った青空の朝、深い霧の午後、春を待つ樹々の芽。
季節外れの雪、、、、雪はこの1ヶ月で3回も大雪に!
北海道出身のオット君は「もういいよ〜」とか言ってますけど
九州生まれの私は毎回テンション上がります。
そして、毎日表情を変える美しい山、富士山。
日々刻々と変わる自然の表情を楽しんでいます。
緊急事態宣言になって東京にも戻れずw
2週間のつもりが1ヶ月以上も山中湖に篭ることになっのは想定外。
さらにここにステイする日が長くなってしまいました。
stay home!
家にいてください、あなたの家族や大切な人のために。
これだけ政府も言っているのに。。。。
日曜日、東京近辺の行楽地には人がいっぱいだったようです。
山中湖も。。。。
東京や横浜や湘南、千葉のナンバーの車が駐車場にいっぱい。
お天気も良いし、出かけたい気持ちもわかるけど。
今なの?
真面目に自粛している人もたくさんいるというのに。。
私もあまりの多さに呆れてしまいましたけど、、、腹は立たなかった。
こんなことで怒ってたら免疫力も下がるわ!
こんな行動を平気でしている人たちは、
その報いを何らかの形で受けることになるでしょう!!!
政治家にも文句を言いたい人だらけ。
他の国のリーダーと比較しては文句。
政策が遅いだの悪いだの文句。
かつてないこの状況の中では、
どの国のリーダーも迷い、答えも見つけられないし
後手後手になるし、失敗もあるでしょう。
それじゃ困る!!のは確かですが
誰がリーダーシップと良識を持った政治家なのか、本質が見える時です。
それに怒って文句ばかり言うよりも
次の選挙に行きましょう。
今までとは違った新しい動きが出るかもしれない。
政府に危機感を持った人がいっぱいいるのなら、
選挙で大きく変わるはずです。
新しい勢力が生まれるのかもしれないね。
政治への答えはその時に出るだろうから。
まずは選挙でしょ。
私はこの状況の中、
毎日を出来る限り楽しく過ごすように心がけています。
想像もしなかったことが起きている今
不安や心配は誰にでもあることだけど
そっちには気持ちが行かないようにしています。
行ったら負け、、、
意地でも元気にしているわよ!って思ってます。
どうしたら自分はご機嫌でいられるのかを考えて
機嫌良く暮らすようにしています。
今はじっとしながらも前向きに立っていること。
何でも楽しむこと。
それが出来れば新しい時代にも適応して
生きていけるんじゃないのかなって思います。
世界は変わる。
それに気が付いた私たちは変わらなくてはいけない。
新しい価値観の時代が楽しみです。
だから
今はお家で頑張りましょう。
これは昨日あったONE WORLD TOGETHER AT HOME
さすがアメリカです。
世界の心が一つになれる。
音楽の力はすごいなって改めて感じました。
ではまた。
3月10日といえば。。
今日は3月10日。
東京大空襲の日です。
75年前の今日、昭和20年3月10日未明に発生した東京大空襲で東京の街並みは炎の海に包まれました。
上空から降り注ぐ大量の焼夷弾により、木造住宅
もちろん、私は生まれていません。
父から聞いた話です。
父は熊本生まれ。
大正15年生まれですから、もし生きていたら95歳になります。。
なので昭和20年は20歳でした。
ということは、太平洋戦争とともに青春があったと言っても過言では無いでしょう。。。
父は化学の知識があり、化学工場での爆弾製造の開発に携わっていたとか。。。で兵役についていません。
いつ召集令状が来てもいいように心の準備をしていたそうですが、後になってその理由が分かったと言っておりました。
そして、仕事で東京に出張に行ったのが3月9日。
同僚と二人、当時は熊本から東京まで丸一日、長い時間をかけての出張の旅だったでしょう。
その日、仕事を終えて宿泊予定だった新宿のホテルに行ってみるとそこには「ベッド」があったそうです。
今では当たり前のベッドですが、田舎者にとってベッドで寝るというのは生まれて初めての経験だったそうです。
「これがベッドというのかー」
と二人とも初めてのベッドに喜んで横たわり寝たそうなんですが。。。
「それが、そのベッドというのが全然良くなかった。寝づらくて、、どーも寝付けない。。。」
硬いベッドは寝心地が悪く、それは一緒に出張にきている同僚も同じ気持ちだったらしいのです。
「これじゃ、眠れんばい。」
と、二人は新宿のホテルを後にしてその頃、県の宿泊所があった川崎に行くことにしたそうです。
新宿から夜遅くに川崎まで。
途中から電車もなくなり、二人は線路の上を歩いて川崎まで向かったのです。
暖かい布団を求めて夜中に。。。
20歳の青年2人には歩いて川崎までなんてへっちゃらだったんでしょう。
その、線路を歩いている時に、背後の東京の空が真っ赤になっているのを見たそうです。
東京の空襲は規模が違うな、凄いな。。。と思ったそうです。
東京方面の真っ赤な空。忘れられないと言ってました。
川崎に着いてやっと布団に寝る事が出来たのですが、朝起きると大騒ぎになっていたそうです。
「昨夜の空襲で東京が大変なことになっているらしい」と。
今と違うし、戦時下ですし、ニュースも追いついていない頃でしょうが。。。
そこで父と同僚はまた東京に戻ります。
そして、泊まるはずだった新宿のホテルまで行ってみたそうです。
なんと、建物はなくなっていたそうです。
もし、あのまま寝心地の悪いベッドを我慢して泊まっていたら。。。
父は20歳で命を落としていたでしょう・・・
熊本から出張中に運悪く東京大空襲にあって。
(もちろん、私も生まれてないことになります。)
父は強運でした。
東京大空襲の翌日に東京を歩いた父。
山手線の電車の中の焦げたような匂いが忘れられないと言ってました。
そして仕事で行くはずだった有楽町の駅のホームから見た景色に呆然としたそうです。
昨日までの東京の風景が一夜にして変わっていたと。
有楽町から見える下町の方はまさに焼け野原だったそうです。。。。
それが今から75年前の今日の東京です。
その年の8月に終戦。
それから戦後の日本の高度経済成長を支えた正にその世代です。
父の人生は昭和という時代とともにあり、日本のため、家族のため、自分のため、ひたすら仕事に生きた昭和の男の一人です。
平成になって引退し、病気を患ってからのことです。
私は父に初めて父の若い頃の話を色々と聞けました。それはどれもが面白くてスペシャルで。
私は本にすることを勧めたんです。
父は喜んで原稿用紙に向かいました。
その幾つものエピソードの中の一つが、3月10日の東京大空襲の話です。
「あの時、ベッドに寝ていたらお父さんはいなかったぞ!」と。本当に信じられない小説のような話です。。。
そして父の本を作り上げた私は、父の一周忌にその本を自費出版しました。
3月10日になると、毎年東京大空襲の話がメディアにも出ます。忘れてはならないことだから。
そして、私は父を思い出す日でもあります。