先日、地元紙に私にとっては興味深い記事が掲載されてました。

 

 新聞記事に掲載されてたのは1961年東区香椎の民家3棟に米軍のジェット戦闘機が

 墜落して炎上した、という記事です。

   5棟が全半焼し4人が亡くなったそうです。

 

 当時はまだ博多区に住んでた頃で小学校の低学年。

 ジェット機が墜落したことなど全く知りませんでした。

 

 この新聞記事を見て思い出したことがあります

 東区に越してきて数年後、当時東区にあった九州大学構内の建設中の建物に

 戦闘機ファントムが墜落しました。通ってた中学校の近くだったので友人と

 見に行きました。真夜中に墜落したので怪我人はいなかったけど昼間だったら

 学生がいて大惨事になってたかもしれません。

 落ちた戦闘機を撤去させまいと学生運動が起きてましたよ。

 この事故を機に反基地運動が高まり沖縄の日本復帰後に大部分が沖縄に移転。

 

 

 昔、福岡市には米軍板付基地がありました。

 子供の頃、博多区に住んでいたのですが国道3号線の建設のため

 立ち退きになり東区に越してきました。

 近くには板付飛行場(米軍基地)があり飛行場は博多区なんですが

 東区の我が家からよく見えてました。 周りに何もなかったからねー

 うるさかったですよー ジェット機が頻繁飛ぶのでテレビの画面は砂嵐状態

 音声は全く聞こえない、窓ガラスはバリバリ振動、電話の声も全然。。。

 電話してる側にも飛行機の爆音は聞こえてるみたいで「今飛行機飛んでるやろ?」と。

 年に一度?上空を米軍の飛行機が青や赤や黄色などの煙をはきながら飛んでるのを

 土手の上から見てました。 今思うとブルーインパルスですね。

 随分後に国からの防音工事が始まりましたよ。各部屋にエアコンが付きサッシや襖

 天井などが防音の物に変りました。襖やサッシの重たい事。

 それでも煩かったな。

 

 

  

 今は福岡空港となって米軍板付基地は無くなったと思っていたんですが

 今も米軍板付基地はあります。 それを知ったのは数年前「まち歩き」を

 したときに福岡空港の滑走路の西側?の奥の方にこんもりと木々が

 茂った所に米軍基地がひっそりとある事を。

 昨年だったか場所が少し移動したようです。

 

 

 滑走路など空港施設の一部は日米共同使用区域に。そして定期的に

 軍用貨物輸送の中継基地になっています

 日本の民間航空で米軍専用区域があるのはここだけ。

 有事の時は軍事作戦の拠点に。

 

 

 他所の国の戦争は遠い国の事と思っていましたがロシアのウクライナ侵攻や

 台湾問題、北朝鮮などを考えると戦争が身近に感じて怖さもあります。

 板付基地は朝鮮戦争やベトナム戦争の時、爆撃機の出撃拠点になっていたそうです。

 

 

 記事の最後に

 アジアの玄関口ながら今なお有事の密命を帯びる福岡空港

 再び前線基地にならぬことを願う、と。

 

 

    

            主な米軍機事故  

  知ってるのは68年のファントム戦闘機が九大に墜落したことだけ

  二又瀬に結構落ちてるんやね。 二又瀬に割と近い所に住んでましたよ。

  二又瀬って道路を挟んで博多区と東区の境目の所。

  現在は建物がたくさん建って東区の家からは飛行場は全く見えません。

  でも、家の真上を飛んでいく旅客機の車輪や機体の文字はしっかり見えます。

  旅行帰り飛行機の中から我が家がハッキリ見えてましたもん。

  その家も今はありません。 住む人がいないので処分しました悲しい

 

  

 先日、一緒にバスハイクに行った友達、帰りに空港の横を通った時板付基地の

 話をしたら板付基地のこと全く知らなかったですよ。一つ年上なのに・・・

 私も東区に住んでなかったら基地のことは知らなかったかも。

   

  今回は新聞記事を発端に思い出話でお固い記事になってしまいました

 

 

   お茶でも飲んで一息ついて下さいなニコニコ

 

    

       

              召し上がれ

 

       至福の時、こういう時間がずっと続くといいな