多賀神社から歩く事15分くらい
ここを通り抜けると
蒸気機関車が現れた。 C11 131号
昭和13年に日本車輛(株)で製造され照和16年から30年間石炭輸送に活躍
コッペル32号蒸気機関車
大正14年貝島大之浦炭鉱が資材運搬用としてドイツから輸入
炭鉱専用の機関車。昭和51年の閉山まで52年間活躍
ここは直方市石炭記念館
本館 別館
本館は明治43年に炭鉱経営者で組織された筑豊石炭鉱業組合直方会議所として
建てられた。直方市の文化財に指定
炭鉱経営者の中に伊藤伝右衛門さんの名前がありました。
別館は平成2年に木造平屋から鉄骨2階建てに。
中には日本最大級の石炭の塊(2トン600kg)や模擬採炭切り場の模型などが展示。
世界記憶遺産の炭鉱画の山本作兵衛さんの絵画も展示されています。
本館で入館料を支払って見学します
入館料、な・なんと100円。 高校生以下50円
中に入ると優しそうなおじさんが寄ってきて色々説明しながら案内してくれました
坑外用電気機関車 明治末期に輸入
石炭の原木 メタセコイア
恥ずかしながら石炭が植物で出来ているとこの時初めて知りました。
石炭は石と思ってました 勉強になりました。
夫に石炭が植物で出来てるって知ってた?って聞いたら「知ってた」ってショボン
救護練習坑道 国指定史跡です
炭鉱災害の時救護隊が救護に携わっていました。
救護練習坑道は実戦即応の救命器具を使用した救護隊員の訓練施設で
大正11年に造られた物。長さ117m、傾斜20度 昭和423年閉所。
坑道の中はほふく練習用の架け橋、高落箇所、煙・ガス発生炉、温度上昇用の
暖房機3ヶ所非常口3ヶ所が設けられていて実戦さながらの訓練。
九州各地から延べ4万人ほどの人達がここで訓練をしたそうです。
石炭記念館では初めて知ったことがたくさんありました。
家に帰ってパンフをあらためて見たら石炭化学館や坑内炭坑機械屋外展示場など
見てないのが幾つかありました
直方駅から筑豊電気鉄道(筑豊電鉄)の電車に乗って黒崎まで行きます。
と、その前にお腹空いた~ 駅に着く前に食事出来る所を道々探したけど・・・
一軒あったけどお休み。
途中見かけたお店。 ここ良い感じ!なんのお店かな?と近づいたら
和菓子のお店 成金饅頭店
成金饅頭買いました。 でもここでは食べられません!デカイんです。
結局、直方駅前のコンビニのイートインでパンと牛乳
筑豊電鉄の出発時間に合わせてコンビニを出ました。
所がですよ、駅に着いたら電車がもう来てて出発しそう・・・
慌てて階段降りて走り去る電車をよくよく見たら行橋行き
えーー黒崎とは逆方向、ホームが違うじゃん!
って言うかこっちは平成筑豊鉄道!
夫が「駅が違ってた!」と。
乗車駅は筑豊直方駅。 紛らわしいぃ
まだ15分ある、と。 筑豊直方駅は直方駅から離れてました。
夫は近いと言ってたけど結構ある!
駅が見えてきたころには発車時間が迫ってる。 もう走りました
階段駆け上がってホームに駆け込んだ時発車のベルわぁ~ん
間に合わんかった。 結局直方駅から15分も歩いたんです。駅離れすぎ!
ベンチに腰掛けて待つ事30分。 駅舎の写真も撮り忘れたわ
筑豊直方駅は筑豊電気鉄道線で北九州市八幡西区の黒崎駅まで通っています
来た来た・・・ 電車が来ました
2両編成のワンマン電車 車内はバスと同じ仕様
黒崎駅までの16kmを35分くらいで行きます。
途中、揺れる事。揺れる揺れる頭も身体も。笑いが止まらん(*'▽')
夫と向かい合わせに座ってたんですが思わず顏を見合わせてまたまた笑った。
路面電車を思い出しましたよ。それくらい揺れました。
黒崎駅では何か催しが行われていました
左の白い建物は閉鎖した百貨店 そごう
ここが閉鎖したお陰で通行止めになってる所が多くて一度陸橋を渡って
そごうの前を通り過ぎてもう一度陸橋を渡って反対側に行くことに。
黒崎城址はたぶん山の上(赤丸の所) 山の下まで来た時
長ーい階段。 夫とどうする登る?って・・・ ここまで大概歩いてるし
やめよっか!? 城址だし石碑くらいで何もないよね、と納得して
また黒崎駅に戻りました。 鹿児島本線で博多駅へ
夕方、博多駅に着いたんですけど人の多さにびっくり!もう恐ろしい
歩数 18441歩
よく歩き回りました
翌日、食べました
直方の銘菓 成金饅頭
直径12cm 厚さ5cmくらい
黒餡はありません
半分でお腹一杯になりました。
今回の電車旅、楽しかったし又こういった福岡県を知る旅もいいなぁと思いましたよ