チビは中学のときの数ヶ月、不登校になった。
根本的には私と元主人(の離婚)の責任が99%だと思っている。
小学校高学年で、大自然の田舎から大都会へと転向してきたチビの震える思いを思うと、今でも胸が張り裂けそうになる。その恐怖を微塵もみせず、都会の彼らとうまくやってきた彼が、中学校を選ぶときには地元への通学をかたくなに嫌がった。
転入した小学校への初登校日は、いまでも鮮明に覚えている。
校長先生は他の転入生とともに、全校生徒の前で挨拶するようにチビを促した。
「○○からきました○○です。よろしくおねがいします」
驚くほどのチビの大きな声が、高層ビルに囲まれた小さな人工芝の校庭に響きわたった。教室へ戻るその列では、すでにチビは数人の少年と楽しそうに話していた。
空はスコーンと澄んでいた。桜も咲いていた。私の波打っていた鼓動は、やっと落ち着きを取り戻していた。良かった。本当に良かった。
その後もチビは、数人の元気な少年たちと仲良くなって毎日外で遊んでいた。田舎にいたときと同じくらい活動的だった。狭いワンルームの我が家へ入りきらないくらいの友人らを何人も連れてきた。卒業するまで、それは続いた。よかった。
よかった。離婚以外で苦しい思いをすることがなくて。そう思っていたのは、ただの自己満足だったのだろう。あるいはそう思いたくて、チビの必死な思いに私は目を背けていたのだろうか。見えないふりをしていたのだろうか。
「みんなと同じ中学へは行きたくない」それは決して口にすることがなかった。だがどうしてもと地元の中学を勧める私に、チビはめずらしく強い口調で言った。
「私立なら、皆が同じスタートラインだから」
私は全身が凍りつき、返す言葉がなかった。
昔からの友人たちには線引きがあって、誰にもそれは見えないし意識もしてないのだが、チビにははっきりと、しっかりとそれが見えていたのかもしれない。小さな心は、どれほど必死にもがいてきたか、私にはまるで見えなかったのだ。
それでもやはり、地元の中学に入れるべきだったのではないかと今でも思っている。あのときの私が確固たる意志を貫くには、あまりにもチビは弱くけなげだった。
そして彼は、ゼロからのスタートである中学生活を迎え、天下を取るべくがんばっていたのだ。何度も注意をし苦言を呈し、真剣に叱ったが、またそこでも彼は彼なりにやはり必死だったのだろう。頂点をとったチビは、はたして集団無視という試練をむかえる。チビは私に、何ヶ月もそれを隠していた。おそらく隠し通そうとしていたのだろう。担任から電話が来る日まで、私は夢にも、こんな悪夢が襲いかかるとは思っていなかった。
「ひどすぎます!僕ならあんな状況耐えられません!クラス全員が無視して、少しでも話したら今度はその子が無視されると怯えているようで、○○はよく登校できていますよ、僕なら無理です!家で変わった様子はありませんか?」
担任は集団無視をする生徒たちを軽蔑するように私に伝えてきた。頭に血が上ってたのだろう、すごい剣幕だった。私は逆に冷静に対応し「ご連絡ありがとうございます。しばらく様子をみます」とだけ伝えた。チビにはなにも言わなかった。彼のせいいっぱいのプライドを、叩き壊すのは今ではないと判断したからだ。
それから数日後、チビは学校近くの公園やコンビニまで行っては、そのまま帰宅する日々を送っていた。数週間後には、一切学校に行かなくなった。
担任からの電話はもう、こちらからかける以外はいっさいなくなっていた。
担任とは裏腹に、何人かの友だちは、メールや電話をくれていた。そういう子達とも、試験の日などに学校に行っても会話をすることは一切なかったらしい。
「俺が話しかけると、今度は俺が学校に行かないときにそいつが無視されるだろうからな」
痛みを知ってはじめて、人にも心遣いができるようになったようだ。だが親として、それを成長と喜んだのはしばらくあとになってからだ。あまりにも悲しい、成長だった。
中学最後の二ヶ月弱は、高校進学を前提にして自ら登校するようになった。途中で学校を抜け出し、早退したこともあった。担任から「やっと来たと思ったらこれですから……」と連絡がはいる。不登校なら問題はないが、いきなり早退した場合は一応周辺を探さなければならないらしい。明らかに迷惑そうだった。また、高校受験をすると知ったときには「信じられませんが高校に進学するつもりらしいです。不登校の子が進学すると○%退学しますよ」と報告してきた。手続き等がめんどうなのだろう。進学断念したほうがいいと言っているようなものだった。
「いけませんか?」
と私は言った。迷惑をかけているからと、集団無視も自業自得だからとずっと反論をしたことのない私だが、最後の最後にそう答えた。必死だった。苦しみもがきながら、はいつくばって一歩でも、と進もうとしている生徒を前に、両手を広げて立ちはだかっているようだった。
合格発表の日、担任は他の生徒数人にチビの合否を何度も確認したようだった。涙を流して喜んでいた、と聞いた。やはり、彼は彼なりに心配してくれていたのだろうか、ただ単に、一人の生徒よりも自分の身が大事だったということか。それが今でも解せないことのひとつである。
しかしそんなことよりも前だ。
チビは、誰の手も借りずに一人で立ち上がった。今でも危うく危険な綱渡りだが、それでも前に、進んでいる。
小学校の転入時、その初日に私が見たものは澄んだ青空と満開の桜だった。チビの目に映っていたものは、真っ暗にひたすら続く闇のトンネルだったかもしれないのに。
私は今、何を、何ができるのだろう。
根本的には私と元主人(の離婚)の責任が99%だと思っている。
小学校高学年で、大自然の田舎から大都会へと転向してきたチビの震える思いを思うと、今でも胸が張り裂けそうになる。その恐怖を微塵もみせず、都会の彼らとうまくやってきた彼が、中学校を選ぶときには地元への通学をかたくなに嫌がった。
転入した小学校への初登校日は、いまでも鮮明に覚えている。
校長先生は他の転入生とともに、全校生徒の前で挨拶するようにチビを促した。
「○○からきました○○です。よろしくおねがいします」
驚くほどのチビの大きな声が、高層ビルに囲まれた小さな人工芝の校庭に響きわたった。教室へ戻るその列では、すでにチビは数人の少年と楽しそうに話していた。
空はスコーンと澄んでいた。桜も咲いていた。私の波打っていた鼓動は、やっと落ち着きを取り戻していた。良かった。本当に良かった。
その後もチビは、数人の元気な少年たちと仲良くなって毎日外で遊んでいた。田舎にいたときと同じくらい活動的だった。狭いワンルームの我が家へ入りきらないくらいの友人らを何人も連れてきた。卒業するまで、それは続いた。よかった。
よかった。離婚以外で苦しい思いをすることがなくて。そう思っていたのは、ただの自己満足だったのだろう。あるいはそう思いたくて、チビの必死な思いに私は目を背けていたのだろうか。見えないふりをしていたのだろうか。
「みんなと同じ中学へは行きたくない」それは決して口にすることがなかった。だがどうしてもと地元の中学を勧める私に、チビはめずらしく強い口調で言った。
「私立なら、皆が同じスタートラインだから」
私は全身が凍りつき、返す言葉がなかった。
昔からの友人たちには線引きがあって、誰にもそれは見えないし意識もしてないのだが、チビにははっきりと、しっかりとそれが見えていたのかもしれない。小さな心は、どれほど必死にもがいてきたか、私にはまるで見えなかったのだ。
それでもやはり、地元の中学に入れるべきだったのではないかと今でも思っている。あのときの私が確固たる意志を貫くには、あまりにもチビは弱くけなげだった。
そして彼は、ゼロからのスタートである中学生活を迎え、天下を取るべくがんばっていたのだ。何度も注意をし苦言を呈し、真剣に叱ったが、またそこでも彼は彼なりにやはり必死だったのだろう。頂点をとったチビは、はたして集団無視という試練をむかえる。チビは私に、何ヶ月もそれを隠していた。おそらく隠し通そうとしていたのだろう。担任から電話が来る日まで、私は夢にも、こんな悪夢が襲いかかるとは思っていなかった。
「ひどすぎます!僕ならあんな状況耐えられません!クラス全員が無視して、少しでも話したら今度はその子が無視されると怯えているようで、○○はよく登校できていますよ、僕なら無理です!家で変わった様子はありませんか?」
担任は集団無視をする生徒たちを軽蔑するように私に伝えてきた。頭に血が上ってたのだろう、すごい剣幕だった。私は逆に冷静に対応し「ご連絡ありがとうございます。しばらく様子をみます」とだけ伝えた。チビにはなにも言わなかった。彼のせいいっぱいのプライドを、叩き壊すのは今ではないと判断したからだ。
それから数日後、チビは学校近くの公園やコンビニまで行っては、そのまま帰宅する日々を送っていた。数週間後には、一切学校に行かなくなった。
担任からの電話はもう、こちらからかける以外はいっさいなくなっていた。
担任とは裏腹に、何人かの友だちは、メールや電話をくれていた。そういう子達とも、試験の日などに学校に行っても会話をすることは一切なかったらしい。
「俺が話しかけると、今度は俺が学校に行かないときにそいつが無視されるだろうからな」
痛みを知ってはじめて、人にも心遣いができるようになったようだ。だが親として、それを成長と喜んだのはしばらくあとになってからだ。あまりにも悲しい、成長だった。
中学最後の二ヶ月弱は、高校進学を前提にして自ら登校するようになった。途中で学校を抜け出し、早退したこともあった。担任から「やっと来たと思ったらこれですから……」と連絡がはいる。不登校なら問題はないが、いきなり早退した場合は一応周辺を探さなければならないらしい。明らかに迷惑そうだった。また、高校受験をすると知ったときには「信じられませんが高校に進学するつもりらしいです。不登校の子が進学すると○%退学しますよ」と報告してきた。手続き等がめんどうなのだろう。進学断念したほうがいいと言っているようなものだった。
「いけませんか?」
と私は言った。迷惑をかけているからと、集団無視も自業自得だからとずっと反論をしたことのない私だが、最後の最後にそう答えた。必死だった。苦しみもがきながら、はいつくばって一歩でも、と進もうとしている生徒を前に、両手を広げて立ちはだかっているようだった。
合格発表の日、担任は他の生徒数人にチビの合否を何度も確認したようだった。涙を流して喜んでいた、と聞いた。やはり、彼は彼なりに心配してくれていたのだろうか、ただ単に、一人の生徒よりも自分の身が大事だったということか。それが今でも解せないことのひとつである。
しかしそんなことよりも前だ。
チビは、誰の手も借りずに一人で立ち上がった。今でも危うく危険な綱渡りだが、それでも前に、進んでいる。
小学校の転入時、その初日に私が見たものは澄んだ青空と満開の桜だった。チビの目に映っていたものは、真っ暗にひたすら続く闇のトンネルだったかもしれないのに。
私は今、何を、何ができるのだろう。