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村松ママンスキーのブログ『ママンのまんま』

劇団鋼鉄村松No.11(休団中)
元38mmなぐりーず研究生
の村松ママンスキーのブログでございます。

どうも。村松ママンスキーです。

ようやく梅雨っぽい感じになってきましたね。
まだそこまでじめっとしてないですが、これから暑くなってきて寝苦しくなるんですかね。
デブに厳しい季節の到来です。

はてさて、特にテーマも決めないままブログ5回目の更新です。
何書こうかな。

じゃあ劇団鋼鉄村松のことでも。

本日は劇団のミーティングがありました。
関わりのある方からは、だらしないことに定評のある鋼鉄村松ですが、
定期的にミーティングなんぞをやっております。
基本的には、公演ごとの反省や、次回公演の準備のための打ち合わせをしたりしています。
ナイロン100℃という超有名劇団のKERAさん曰く、
「定期ミーティングなんか必要はない」とのことですが、
関わりのある方にはうっかりもので知られる鋼鉄村松、
定期的に話し合わないといろいろ忘れてしまいます。
本日のミーティングでかなり重要なことが話し合われたのですが、
詳しくはまた後日。

なんだかんだ、1994年の旗揚げ公演から19年も続いている劇団です。
ナイロン100℃は今年で20周年だとか。
すごいなぁ。
同じ年に生まれたお子さんがもう19歳ですよ。
僕らも年を取るわけです。

僕は一昨年からの入団ですが、最初に知ったのは高校生の時でした。
演劇部の先輩が筑波大学に入り、鋼鉄村松というところに出演するというので、
後輩一同で観に行きました。
「安打製造機51号」という芝居でした。
高校生の僕にはすごい斬新な芝居で、熱心にアンケートを書いたことを覚えています。

そう、住所も。

それから、

延々と自宅に鋼鉄村松のダイレクトメールが届くようになりました。

月日は流れ、高校を卒業し、大学でも演劇のサークルに入り、サークルを引退する時まで、
一回も観に行きませんでしたが、ダイレクトメールは自宅に送られ続けました。

サークルを引退して、暇を持て余している時、
また鋼鉄村松のダイレクトメールが来ました。
家から30分くらいの劇場で公演をやるとのこと。

ずっと送り続けてくれてるし、暇だし近いし、久しぶりに観に行ってみるかと劇場に足を運びました。
4年の月日が経ってました。

「ロケットマン」という芝居でした。


とても、


とても面白かった。

当時お付き合いしていた彼女(とても可愛かった)の家に行き、
芝居の頭から終わりまで語って聞かせました。
聞き終わった彼女は
「よくわからなかったけど、あなたが心から面白いと感じたことはわかった」
と言いました。
引退後、サークルの仲間と劇団を作ることになっていた僕は、
鋼鉄村松みたいな面白い芝居を作るんだと意気込みを新たにしました。

その後、いろいろあって、その劇団を離れることになりました。

就職活動もしていなかった僕は、ただただバイトを繰り返す日々を過ごすようになりました。

ある時、たまに見ていた鋼鉄村松のホームページに
「公演お手伝い募集!受付などやってくださる方歓迎!」
とありました。

劇団を離れてからバイト以外何もしていなかったので、受付くらいやってみるかと応募してみました。
すると、
「ご応募ありがとうございます!では○月○日に稽古してるんで来てください!」
と返事があり、なぜ受付なのに稽古に行くのか疑問に思いましたが、
気を使って顔合わせとかしてくださるのかなと稽古場に向かいました。

そこには「安打製造機51号」や「ロケットマン」で観た役者の方々がいて、
なんだか不思議な気持ちになりました。
「あの面白い芝居を作った人たちのお手伝いができる」というような感動に近い気持ちだったと思います。
一通り挨拶をし、最後に演出のバブルムラマツから書きかけの台本を手渡されました。
「はい、コレ台本」
『? はぁ』
「まだこの役とこの役が役者決まってないんで、とりあえず読んでみて」
『はい。え?』
「え?」


こうして、僕の鋼鉄村松での初舞台、
「ライト兄弟激突!ウィルバーVSオービル」への出演が決まったのでした。
7年の月日が経っていました。

なんだか長くなってしまいました。
続きはまた今度。

それでは、また。
次会う時までお元気で。