≪三木忠直の略歴≫

1909年香川県高松市生まれ(2005年没)

1938年旧東京帝国大学(現東京大学)工学部卒業

卒業後、海軍高級技術廠に入る

海軍の技術少佐にまでなった

航空技術者/鉄道技術者

特攻機と新幹線の開発者

 

三木が指揮して陸上爆撃機「銀河」を開発。ゼロ戦並みのスピード、連続飛行距離4000㎞、爆弾1t積載可。

特攻機「桜花」開発したが(提案者は別のひと)、技術者として「パイロットが必ず死ぬ飛行機を作るなんて技術への冒涜だ」と思っていたが、軍隊の中ではさからえなかった。

しかし、1945年5月28日に初めて使われたときは、自分の技術が役に立ったことを喜んだ。

10回の出撃で55名が死亡。突撃先の敵艦隊搭乗員365名も死亡。合計755機の桜花がつくられた。

 

敗戦後は、自分がつくった飛行機で若者を殺してしまったと苦しむ。

敗戦の年に三木の妻と母親がクリスチャンになる。

三木もマタイの福音書11:28(すべて重荷を負って苦労しているものはわたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう)のことばに救われる。

1945年12月15日、自身の37才の誕生日に洗礼を受ける。

信仰をもったあとの三木の言葉「飛行機や船はいざというときに兵器に転用されやすい。鉄道ならそのまま直接兵器にはなりえないだろうと考え、高速鉄道の研究をしようと決めた。」

当時、東京~大阪は7時間くらいで、鉄道産業は期待されていなかったが3時間で結ぶ夢の超特急構想を講演して回り、開発のスタートとなった。

新幹線の先頭の流線形は空気抵抗を極限まで減らす飛行機と同じ発想。

1963年(東京五輪の前年、最初のテスト走行で265㎞出てそのまま実用化された。

そして「つくるものはつくった」と身を引き、国鉄を辞めた。

今でも新幹線は高速列車の基本モデルで世界の目標。

新幹線の走行中死亡事故はいまだにゼロ。

 

聖書の言葉が一人の人生と鉄道業界、しいては私たちのライフスタイルを一変させた。

神が荒地に道を、砂漠に川をつくられるようだ。

 

≪荒地と砂漠の違い≫

荒地=雨が降ると復活する土地

砂漠=どんなに雨が降っても水を蓄えられない

 

すなわち、砂漠に川が流れるのは神の奇跡でしかない!

 

 

youtube.com/@seisholab からの要約(覚書きとして)