もうすぐ卒園の園から、次期園児募集の書類をもらった。
お手紙を入れるファイルに挟んであった。
そして、その書類には子供の名前が印字されていた。
うちの事情をある程度は知っているはずだけど、皆に配っているものなのか、印字されているから、まだ妊娠可能性があると思って配ったのか、何だか深読みしすぎてしまう。勘ぐってしまう。
我が子は、私の子にしては協調性があるし色んなことができる。
子育てに成果なんて言葉は似合わないけれど、成果があるとしたら、私の努力と夫の忍耐によって成し得たこと。
育つ若葉に水を与えるくらいの最低限のことはできたらということ。
そして、若葉は多少くせがあっても日に向かって伸びていこうとしている。
夫のお陰、子供の純真なひたむきさのお陰、園の先生達のお陰、お世話になった沢山の人のお陰。
なのに。
もし、ここで二人目を産んで、うまくいかなかったと「見なされた」ら、たちまち私のせいにされてしまうんだろうか。
余計なこと考えていると、わかっている。
けど。
もし今産んて、何かがあると「無責任」とか「悪い親」とか「自己中心的」であると、言われてしまうんだろうか。
私は、子供が欲しくて、自分が子供の時から欲しくて、もし子供が生まれたらその子を守って寂しい思いはさせないんだ、と思ってた。
そのことを微塵も疑わなかったから、周りの声や視線なんて(多分あった)なるべく取り入れないようにしながら、子供を授かるまで揺らがなかった。
「子育ては大変」という言葉が実感を持ってストンと胸の奥に落ちたのは、妊娠中のあれこれや出産、怒涛の子育てが始まってから。
その時、やっと私は批判されがちな世界で子供を産んだんだと気付いた。
家族計画とかした?
しなかったよ。しなかった。
でも、それを最初から考えている人はどれだけいるか。
もし子供を育てられなかったら?
育てられると、信じて疑わなかった。
無責任だと思わなかった?
責任は、今取ろうとしているんだよ。
子育て支援で、担当者に言われたこと。
「あなたの事情は、人には話さない方がいいでしょう。社会は優しい人ばかりではないから、何かあるとその度にあなたが疲れてしまいます」
その通りだと思った。
同時にとても悲しくて。
皆に期待されて、祝福されて、子供を授かり産み育てる、そういうことが、何で私には、こう困難なことなんだろう。
実家で言われたこと。
「もし産んで、(子供が)病気だったら人生終わりだ」
とてもとても悲しくて。
産むまで産んでからも「おめでとう」と言われなかった。
悲しくて悲しくてうつになって。
天井を見上げて。
どうするべきかずうっと悩んで。
出した結論は、この世界に、私の味方がないとしたら……それならば、生まれてくるこの子にだけは、絶対に私が味方しよう、ということ。
この子には、私みたいな思いはさせたくないから。
歯を食いしばって、実家の家族が芸能人の話をしているなか、陣痛に耐えた。
産む時、夫が手を握ってくれて、その手だけを頼りに産んだ。
なんかそんなことを、思い出し、二人目か、と思う。
産むとか産まないとか。
やめとけとか、考えるな、とか。
園の書類、名前が印字されていたこと、嬉しかった。
嬉しく、そして、同時に色々と考えて、胸が痛く苦しく。
それでも。
さて、もうすぐ卒園だ。