前の記事は現在の状況を書きました!


少しだけ思い出の写真を❣️

癌がわかる前に2人で訪れた

広島県世羅のネモフィラ畑です!

とても綺麗だった!

しっかり治してもらって、

いろんな景色を見れるように。


ーーー

以下の記事の続きをかきます🙏



精巣がんは、細胞が複雑で

しっかりとした癌細胞検査を行い、

今後の治療を確定するということでした。



夫の睾丸摘出後、

検査結果がわかるまでに2週間かかりました



細胞の検査結果を医師と会話するのに、

わたしも広島に滞在。



検査結果をまちつつ、この間に

今後の治療をどこでするかなどを

話し合いました。



それと、今回夫は転職してすぐの癌発覚で..


仕事は休業をしなければ、ということもあり

夫の職場の支店長、人事の方、保健師さんとお会いして会話しました。



今回はそのことについて記します。



まず、細胞の検査結果次第であるが、

夫はおそらく抗がん剤治療だろうと、

医師に言われました。



抗がん剤治療は3クール。

約3ヶ月です。



この間は、体調は衰えて仕事との両立は

厳しいということもあり、休業を夫職場に連絡。



こんな転職したてでの、休業..

最悪はクビかもしれないと覚悟しました。



もう結果を受け止めて

どう進んでかが重要です。

どうにかなる、するんだ!それだけです。



なんだか衝撃続きで、

もう無欲というか、

命あればなんとかなるんだと

不思議な感覚でした😂



夫が連絡しすると職場の方は、

クビになるなんて、

そんなことはない!と。



今、すでに夫の会社で休業の際の内容を

整理し、使える福利厚生や、

保険関連の申請をすでに進行中とのことでした。


本当に感謝、ありがたい、ありがたい…


その感情で、涙がでそうでした。




こんな時、本当に周りには

迷惑しかかけてないのに、、

本当に人の優しさに助けられます。

感謝ばかりです。



みんなも、大変なはずなのに。



私も人に優しくありたい。



これから先、この恩を大切に、

私も誰かが苦しんでる時、力になりたい。


そう強く感じずにはいれませんでした。


夫の会社の人たちは


「しっかり癌をなおして、また活躍してくれ!」


と、夫にもとても強いエールを送ってくれて

夫もそのことに、とても感謝し感動したと

話をしてくれました。

感謝しかありません。



保健師の方も丁寧に、休業の際の補償や、

給与のことなども教えてくださりました。


上司の方々も、

「うちの会社に入ってきてよかったね!

休業の内容はしっかりしてるだろ?」


と、明るく気さくに話してくれました。



とても心強い、

心底、安心しました。



直接、夫の家の近くまで来てくれて、

説明をしてくださり、

何もかも感謝でしかないです。



私の会社側も


「家族を優先に」


「仕事は、あなたが抜けてもなんとかなる!

会社には代わりはいる。

でも、家族には、あなたしかいないんだ。」



この言葉が強く強く印象にあります。

感謝しかないです。


それと自分の感情も、強く印象に残ってます。


私の仕事を軽減してもらうことによって、

他の人に負荷がいくこと。

申し訳ない気持ち。


そして仕事がなくなる私は、

会社に、会社の仲間に

置いていかれる気がして。

そんな孤独で、不安な気持ち。



自分のエゴが入り混じった。

愚かな感情。

不安でどうしようもない気持ち。


どうしてもチャレンジしたくて

やっと漕ぎ着いた会社。


誰のせいでもない。


けれど、

家族優先なのは、もちろんです。


けれど、

同時に孤独を感じ、不安でした。

わたしは、どうなるんだろう。



この間にも皆、

社会に向かい、経験をつける。


わたしは..



夫がこんな状態なのに、

自分の仕事や、自分のことを考える自分。



そんな自分の嫌な感情に、

嫌でも対面して、わたしは酷い人間だ。

そう感じました。



こんな状況なのに、

職場の自分の居場所を

気にしてるのです。



ただただ、この嫌な自分の感情を俯瞰し、

とても辛く感じました..



けれど、そんな気持ちを知ってか否か、

上司は

「このことによって、

席がなくなることはない。安心して」


そう言ってくれたこと、


わたしが申し訳ないと伝えると、

同僚からも


「復帰したら、いやでも仕事はまわってくるから(笑)今はこれでいいんだよ」



と、温かかで…

たしかにな(笑)というようなエールも。



本当に、多くの人に、

優しい言葉をもらいました。



いろんな人に支えられているんだと

実感しました。



何度も繰り返しますが、

感謝しかないです。


そして、一つ感じたこと。


家族側として…

癌の本人がいちばん辛い。


だから、自分がこんなことで

辛いと感じてはいけない。情けない。


そう、本人を考えるがゆえに、

自分を責めてしまうことがあるかもしれません。


私がそうでした。


何故、癌の本人が1番辛い。

辛いのは本人なはずだから、

こんなんで辛いなんて思ってはだめだ。

こんなんじゃいけない、いけない。


そう思ってました。


けれど、家族も辛いのはあたりまえです。

これまでの生活ではなくなり、

自分のことは優先できづらい状況にもなります。

辛いに決まってます。

いろんな葛藤があります。



でも、決して自分を責めないでください。

癌の本人も、そして家族もそれぞれ

人生がある。


自分の心が疲れてると、

人にも優しくできない。


自分の心が辛いと、

知らず知らず、

人へも同じように振ってしまう。


ひとりひとり人生があり、心がある。

時に反省し、

自分の心に優しくしていいんです。

自分を許すこと..

自分を見て、受け止める。


そして、この状況は、必ず終わります。


辛いと感じた時、

自分が情けないと感じた時、

今だからこそ、

向き合える、気づける自分の姿なんだと、

そう考えて、

少しずつ、歩いていこうと思いました。


少し脱線してしまいましたが、、


そんなことで、、

癌の治療方法を待つ期間は、

生活、心の整理にもなりました。



そして治療場所について、です。

私たちは、2つの生活拠点があります。



私が働く東京の家、

そして彼の広島の家です。



単身赴任、というものの、

それぞれの荷物や生活は、それぞれの家。

そんな状況です。



今回、治療をどこで受けるか、

それが1番の議題になりました。



話し合いの結果、抗がん剤治療は

「広島」でうけることに決定しました。


理由はいくつかあります。


私がリモート勤務が可能なこと。

比較的移動ができる、

広島でも仕事ができます。



コロナ禍で、基本入院中は面会は禁止。

なので、退院のタイミングのみでしか

あえないと言うこと。

そうなると、東京も広島も同じです。



そして彼の家は、

彼の生活のものがすべてあり、

彼が一番いやすい場所であるということ。



また、主治医は私のことを心配してくれて、

関東だと親族や頼れる人がいるのでは?

と聞いてくださいましたが、



私の実家は北海道であること。



そして、今、彼の実家もお義父さん、

おばあちゃんが体調が悪く、

お母さんが一人で介護、つきっきりということ。



もう、彼の実家はすでに手いっぱいで、

本当に何かあったときのSOS以外は

助けは厳しいと言う現実です。



彼のお義母さんから、彼が癌だとわかってすぐ


「まなみちゃん、頼みます」


そう、ひとこと言われました。



何もかも受け入れよう、そんな気持ちでした。



すごく、偉そうな言い方になってしまって嫌ですが、何もかも許すんだ。

そう静かな感情でした。



今は1つずつ、受け入れて、進むだけ。



私の母は、北海道にいるながら、

何かあればすぐにいく!

と、心強い言葉をくれました。

看護師ということもあり1番の話し相手です。



それだけで十分です。



なので、東京で闘病しても、

広島で闘病しても、同じなのです。



そして、1番の理由は彼の意志です


彼が悩んだ結果、

彼自身が広島での治療をしたいと希望しました。



実は、夫の会社からは、有難いことに

もし東京で闘病するならば、

配属先を東京にすることを検討してくれました。



夫婦で2人で住む用の家もこれを機に、

決めて良いということです。



一瞬…

この二重生活での出費は多少あるので、

この言葉にわたしは揺らぎました。



会社側で関東だと家賃は15万も会社で

みてくれるとのこと!

そんなに高待遇なのか!と驚きでした😂



恥ずかしながら、病気をきっかけに、

生活を考えるとそれもよいのでは…

と、わたしは揺らいでしまいました。


ですが、そうなると東京本社勤務。



彼の希望するキャリアとは違う内容の配属先にはなる、ということでした。

営業ではなくなる、ということです。



彼は強かったです。


いろいろと考えてくれた

広島支店の人たちへ恩を返したいし、

会社の人から、任された広島で、

しっかり働きたい。



だから、この場所で治して、働いて、

経験をつけて、関東に帰るのはそれからだ。


そう言いました。



彼も最初、癌と知らされた時の動揺から、

どんどん落ち着きをとりもどして、

逆にいつのまにか、

どんどん強くなってました。


病気は、人に気付きを与え、

強くするんだ、そう感じずにはいれません。


もちろん、

東京配属ではなく、東京で治療し広島へふたたび帰るということも選べました。



だけど、彼は一度病気で関東に帰ってしまえば

広島へもう気持ち的にも、

戻れなくなるかもしれない。


それが怖いし、嫌だから広島で闘病したい、

そういいました。



いろんなことが重なって、

抗がん剤治療は広島ですると決めました。



主治医は、縁もゆかりもない広島での闘病を、

心配をしてくれましたが、

理由を丁寧に話すと、納得してくれました。



何が正解か。

最初はずっと考えました。


その結果、

状況、意志、、

人はそれぞれです。

正解はないんだと気付きました。



正解はない。

ならば、今選ぶべき、最善を選ぶ。


これだと感じました。



しっかり一個ずつ

言葉にして、整理して考えると

それが見えてきます。



わたしが最善だと感じたことは、

病気と闘う本人、彼が1番だと感じる道を、

わたしは尊重すること。



本人が良いと思うこと、

納得できることが、

病気と向き合う上で1番だと、そう感じました。



広島⇆東京の行き来も近いものです。

どこもかしこも、飛行機、新幹線、

すぐにいけてしまう時代です。



そう言う理由で、

抗がん剤治療を広島ですることを決めました。



(つづく)


▼夫の闘病記録です!

こちらもご参考になれば嬉しいです。