気を利かす、気を回す、気を配る

全部同じような意味合いではあるけど
少しずつニュアンスは違って

ただ、この「気を」シリーズは仕事をしていく上で、とっても重要になる

まあ、家で家事で買い物で…
どれだけ、瞬時に頭回して物理的なことも考慮して効率や合理性を図るというのは、仕事だけに留まることではないと思うのだけど

ここ最近は自宅にこもることがほとんどなので、
自宅で出来る仕事や家事かたわら、テレビを観ることも増えて、というのは前にも書いたけど

前に観たことあるものとか、見逃してたものとか、今は配信などというものがあって
非常に便利

TSUTAYAにわざわざ行かなくてよくて、
それこそ外出自粛にも役立ってる

その中で「天皇の料理番」なるドラマ

今をときめく佐藤健が主演で数年前の日曜劇場で
同シーズンのキムタクドラマを抑えて視聴率とってたドラマなんだけど

原作も堺正章版もあるけれど、とりあえずここは
佐藤健versionで。

もちろん、私が気付くことなんて、みんなも気づいて、作り手もわかっててなのかもしれないけど(いや、そうじゃないのかもしれないけど)
でも、ドラマ見てて1番感じたのは

なんの役やっててもイケメンはイケメンてことじゃなくて(いや、それもだけど)

ほら!このドラマも仕事していく上で大事なことと沢山教えてくれてるってこと‼︎

っていうか、そういう目線でばかり、観ちゃったってこと!
今の私って、もうそこにがんじからめなのか
(ため息)

「天皇の料理番」は何をやっても続かなかった厄介者って言われてた主人公が、料理に出会って、紆余曲折ありながら
天皇の料理番にまで上りつめていく物語なんだけど、

もちろん時代背景もあるし、ドラマだから上手くできてることも(実話が元ですが)
細かいことを言えば、ちょっとニュアンスが違うことも多いかもしれないけど


例えばその頃って、料理人はワケありが行き着くものだったりして、とにかく評価の低いものだったわけだけど、今は違う
出演者の武田鉄也さんが「高く評価されない職業に自分の魂を吹き込んで、ついに天皇の料理番にのぼりつめる。一途にひとつのことをやり遂げることで、その職業が光輝く」って言ってます

そして主人公が料理の道に入って、とりあえず下働きの小僧の仕事をずっと頑張るわけで

洗剤もスポンジもなかった時代に臭いの残らないように調理器具を莫大な数洗ったり
(サボって見つかって怒られて…もあったけど)

食材を切って切って切りまくって、技術を習得したり
ずーっと、灰汁とりをしたり

その間に「相手をよく観察して、一歩先を読んで、先に準備して、相手の技術を真似る」ってことの大切さに気づいて、

ボウルとってって言われたら「灰汁とりするんだな」ってボウルに水はって渡したり
「アレしてるから次はこれだな」って先回りして
「気を」利かせて…

これホント大事!っていつも思う。

「人手」がない時、このちょっとした気づきがどれだけ仕事を回すか…

この「気を」シリーズ
ドラマだからデフォルメされてて、ちょっとわざとらしく描かれてるけど
これ、出来るか出来ないかなんだなー
気づけるか気づけないかなんだなー

 職場で保育士もコップ洗ったりするんだけど、
2段になってる乾燥機に洗ったコップをどう置くか?!これ私よく観察する
洗ったコップ、下の段から入れていく人…まあ、大概みんななんも考えず…

 次にコップ入れる人が上の段に置くと
上からまたポタポタ水が下の段に置いたそのコップに滴れるよね
水滴をよくはらった洗い物と
びちょびちょの洗い物
いくらその後、乾燥機かけるからって
その後の渇き具合は格段に違う

物理的な問題なんだけど、
これを瞬時に感覚でわかるかってことなんだと思う

でも、乾燥機の温風は下から出てるので、食器が1段で済む量なら下の段に入れるとか、乾きにくい物は近くに置くとか
臨機応変も必要!大事!

よく新人さんに乾燥機のところで
「そういうことに気づけるか気づけないかで、出来る大人になるかどうかっての分かれ道」って声かける。
 だって、気づかないままのベテランさんも多いからねー(ベテランさんには言いにくいし)

たかだか、食器乾燥のことと思うかもしれないけど、その「たかだか」のことに気づけるか気づけないかなんだなー
それは、全てに通じると思うから

目の前だけじゃなく、「全体を見る目」は本当に大事
 
「たかだか」のことを意識して、地道に頑張って、自分の意識を高めていく、地味でもそれがやがてプロ意識とリンクすると思う。

  天皇の料理番に戻るが、野菜切りの技術は後にフランスに出た主人公が「黄色い猿」と馬鹿にされた人種差別の世界で、その実力を認められていく

地道な努力が実を結ぶんです!

専門職として、知識や知恵その引き出しはいくつあってもいい

そして、その上にこの話は「真心」というテーマが根底にある

色々書いたが、まず「心があって」「気持ちがあって」「思いやり」があって

その上に成り立つものでなければいけないってことだ
それが、人を繋げていくってことだ

 保育士の評価は決して高くない、だから対価も低い。やっとスポットが当たってはきたけど、
 「給料あげろー!」「休みくれー!」って権利ばかり叫んでちゃだめだ

まず、保育士が自らもっと、意識高めないといけないんだと思う

 かつての料理人が今は職業として認められているように
 保育士は職業として認められているけど、未だ評価が低いのは

私達、保育士の意識も多いに関係してると思うから

保育士不足だから「誰でもいい」じゃダメなんだ!

 

 ただ最後に
 
 この「気を」シリーズは
世間一般の非認知能力とは違うかもしれないけど、「感覚」とか「センス」とか
教えごとじゃない部分が大きくて…

だから伝えるのごすごーく難しい

だって「気を」はプラスアルファなので
その人の度量だったり機転だったりするわけで、人から強要されるものじゃないもの

掃除ひとつも「どこまでやるか」「どうやるか」はその人次第

 だけど、そのプラスアルファに気づける人に
なれるといいなーって

 どうやったら、少しでも気づけるようになるのかなーって話を後輩に伝えていけたらなーって

難しいなーって

 「天皇の料理番」観ながらそんなことばかり考えてた

 お休みの現実逃避に観るドラマもそこに結びつけちゃう自分がにくい…けど
 そんな自分も嫌いじゃない
だってそんな目線からの感動も味わえるから

 じゃ、どうしたらいいんだろ、自分に何かできるだろうかって胸が高鳴るから