涙 | ママ、わたしは生きていくよ。

ママ、わたしは生きていくよ。

バリキャリ母と、平凡娘ひとり。
母子家庭を襲った母の癌。
闘病3年9か月で風になった母。

母の知らないわたしを徒然したためます。

今日の朝はとても幸せな夢を見ていたのに

目覚ましでも鳴ったように

突然目が覚めた。

 

夢の余韻が残るほど

唐突な覚醒。

 

明るくはなっていたけれど

時計は朝5時半前。

 

もうちょっと寝られたのに・・・。

うーんと横を向くと

Tシャツがめくれて肌が出てる背中を

つついてくる感覚がする。

 

なんや、2女が起きてたから

起こされたのか、と振る向くと

2女はわたしとは反対側を向いて

スヤスヤと眠っていた。

 

肌がざわついた。

 

微睡んでいた頭は急に冷え

慌てて携帯に着信がないか確認した。

 

こういう時、

高い確率で嬉しくない知らせがあったりする。

 

お世辞にもいいとは言えない目覚めのせいか

身体はだるく

持病の眩暈も立ち眩みの合わせ技で

軽く咳も出る始末。

 

疲れが流石にでたかなと

今日は母のところへはいかず

お使いや母の洗濯など

雑務をこなす1日だった。

 

何事もなかったな。

朝から携帯を手放さず

何か連絡が来たらと尖らせていた神経を

緩め始めた夕方

 

病院から着信。

それも少し携帯電話から離れた時に

不在着信が入っていた。

 

あぁ、もう!タイミング!

自分に苛立ちながら

留守番電話をきくと「ご相談が・・・」という。

 

すぐに担当の医師に取り次いでもらうと

「お電話ありがとうございます・・・。」から

「ご相談」の本題に入らない。

 

母の息苦しさや、病状をわたしから一通り

聞いてやっと医師が「あのですね・・・」と始めた。

 

「お母様はまだ家に帰られるというようなことを

 娘さんにもおっしゃっていますか?」

 

「今の病棟は急病の方が多くてですね・・・」

「今のお母様には緩和ケアでゆっくりと痛みのケアをですね・・・」

つまり緩和ケアへの移動を勧める電話だった。

 

帰る意思を明確に表示している母に

緩和ケアへ転院させることは病院側からは出来ない。

 

わたしへ説得してくれという。

 

つい10日程前に

緩和ケア病棟へは余命1か月かどうかという人しか

入れないとその医師から聞かされたばかり。

 

つまり、母は“そう”なってきたのだ。

 

あいまいに霧の中に隠してきた現実を

ひと吹きで鮮明にされたような電話。

にわかに受け入れられない。

 

今日はジムにもいかず

晩ご飯も食べられず

お風呂にはせめてつかろうと

湯船に身を沈めた途端

 

涙がぶわっと出てきた。

 

自分でも突然すぎて慌てる。

本当に不意に流れてきたそれは

止まることなく出続ける。

 

そういえば

2か月くらい1ミクロンも泣いてなかったな。

 

冷静なわたしもいるのに

涙腺は別の生き物としてはたらく。

 

あぁ、、なんだ。

わたしは母をどうのこうの言えた義理ではない。

 

母は

そうはいっても、

帰ってくる。

 

また、母とビールを酌み交わし

チーズとお好み焼きを食べて

ムスメーズをみて一緒に笑える。

 

そうどこかで信じていたのは

わたしだった。

 

わたしが一番

そう思い込もうとしてた。

 

そう気づいて

涙を止める努力をやめた。