退院と大喧嘩 | ママ、わたしは生きていくよ。

ママ、わたしは生きていくよ。

バリキャリ母と、平凡娘ひとり。
母子家庭を襲った母の癌。
闘病3年9か月で風になった母。

母の知らないわたしを徒然したためます。

母から怒りのラインが来た。

 

「介護申請ってなに?」

「リハビリしてるやんか」

「勝手に〇〇(叔父)と決めんといて」

「明日、退院決まり。」

 

プライドがエベレストより高い母。

 

ヘルパーさんとか

車椅子とか

スムーズに用意できて

生活を助けられたらと

母に言わずに叔父と少し話をして

 

叔父がどんなもんか聞いてくれるとなっていた。

 

だが、この叔父。

なかなか母と正反対で

思い込みが激しい。

 

勝手に介護申請をするものだと解釈して

母に

「介護申請するから主治医のサインもいるし

 今から病院行きます。」

なんて、連絡してしまった。

 

烈火のごとく怒る母。

そらそうだ・・・。

 

何せ着火剤のような母は

自分の意に沿わないこと

自分の思考の道筋から外れたやり方

自分のことを、まわりが勝手に相談すること

 

地雷がたくさんで

少しでも触れたなら

周りを巻き込んで爆発する。

荒れる、壊して、殻にこもる・・・。

 

これが原因で

昔、母とわたしは折り合いが悪かった。

 

とはいえ、

この件に関しては

母の気分を害することはわかっていても

早めに相談するにこしたことはないと

勝手に動いてしまった。

 

叔父も母の弟なんだから

彼女の性格をわかってもいいものを

60年間、母をつかめないまま

姉弟喧嘩をし続けている。。。

 

冒頭のラインが来たと思ったら

叔父から

 

「〇〇(母)さん、申請していらん、まだ大丈夫やと。」

「ということで、今日は行かんときます。

 けど、生活に支援は必要だろうからいい方法を

 〇〇(わたし)が相談しといて。」

 

諦め丸投げメール。

 

叔父・・・。

それはないやろ。

 

かとおもったら

ポキポキと携帯が鳴り

「〇〇(叔父)からのメール転送した」

退院についても

わたしが迎えに行くのが遅くなることに

「待てる?って。待つしかないやん。

 荷物が重くて自力では無理なので。」

「タクシーってどれくらいかかるんかしら。」

 

母の感情的な

殻にこもっていくラインが送られてくる。

 

叔父からも

「〇〇(わたし)に全部任せるということではないよ。」

 

流石に

わたしも

わーーーーーーーーーー

叫びたくなった。

 

 

幼稚園につかれた

泣き叫ぶ2女の手をつなぎながら

母と叔父の連絡内容に翻弄される。

 

どうしてママはそうなの・・・。

苦言を呈する。

 

  わたしは何もママのためにならんことを

  しようとしたわけじゃない。

 

  そうやって、壁を作ってしまわれると

  どうしていいかわからん。

 

ラインで喧嘩しながら

どんどん精神が削れていく気がした。

 

鉛筆削りで削れれていくように

どんどんどんどん

自分がなくなっていくような感覚。

 

せっかく退院が決まったのに

母のことを思っての行動は

失敗に終わった。

 

母の思うような生活を

わたしは彼女にしてもらえるよう

サポートできるのだろうか。

 

昔の感覚が蘇る。

何をしても

母の怒りの表情が浮かぶ。

 

37歳になってみっともないけれど

わたしは母がまだ怖いみたいだ。