これは私への戒めとして書いています。












私は継子の母親ではない

そして継母でもない

継母もどきだ。




どんなに取り繕ったって私はママでもお母さんでも継母でもない

中途半端な存在。




それは、私がそれを選んだからだ。

私が、選択してきた結果だ。






継子のせいにしてはだめ。





なぜなら、私は大人だからだ。






私は継子と向き合う勇気が無かった。




継子は私とパパが結婚する時、

「ふわりにはママになって欲しくない」と泣いたらしい。




私はとてもショックだった。




6歳の時から小学校4年生まで、毎週のように継子と触れ合ったりみんなで遊びに行ったりしたし、嫉妬されても、無視されても、それでも諦めなかった。





でも、継子は私にママにはなって欲しくないと泣いたのだ。



深い意味ではどういう意味かはわからない。



「ママ」は継子にとって、産んでくれた母親だけだからママのポジションを取らないで欲しいという意味なのか

「ママ」とは呼びたくないからなのか




わからないけど




たぶん、パパを取られたくない思いが強い事だけはわかる




私のこと、良くない感情で見ていたのはわかる




それでも、私は継子とパパと3人で暮らした。




最初は無視されたり嫌な態度を取られたり、女と女のバチバチの戦いだった。




私もどうしてもそんな態度を取られると、すごく嫌な気持ちになった

惨めで悔しくてムカついた。





学校行事にもきて欲しくない、「ママ」は産んでくれたママのことだから、ふわりをママだと思われたくない。と言われたこともある。



私が学校行事に来て欲しくない?と聞いたら、そう答えたことも覚えている。





妊娠中に散々な態度を取られて、心が折れてしまった。




何をしても、空回りでしかなくて、継子は頑なだった。




それでも、心が折れるまでは私なりに頑張った。




でも、私は臆病だ。



実の母親にも本音を言えたことがない。父にもだ。




本音を言って、引かれたり受け入れらないことが怖いからだ。




だから、38年間、ずっとずっと本音を言えず我慢している。

いつも、いつも、ずっと我慢している。




だから、母親の顔を見たり声を聞くと、その後に辛くなって1人涙が止まらなくなる。

本音を38年間も我慢していると、我慢が溢れてしまうからだ。



我慢は、人を壊す。





そんな私だから、継子にも本音でぶつかれなかった。




パパは本音でぶつかって大げんかして、ぶち壊せばいいと言ってくれたのに。私は怖くてできなかった。

継子と表立って大げんかして、本気で嫌われるのが怖かった。無視されたり、嫌な態度をこれ以上されたく無かった。




耐えられない気がした。

私はまた、自分の心を守った。




裏ではお互い嫌悪感があるのに、私も継子も、表立ってはぶつからなかった。



継子は私のことを「好き」だと言ったし

私も継子のことを「好き」だと言った。




でも、心の奥底ではお互いのポジションを恨んでいた。

人間対人間の話なら、私たちは嫌いではなかったけれど、

「継母」「継子」のことは嫌いだ。




だから、ずっと心にわだかまりがある。




最近、旦那はパパ子の部活で撮り溜めていた写真を整理していた。

旦那は継子の部活に積極的に関わって、継子や継子の友達にも信頼されていた。

たくさんたくさん写真を撮って、コーチのようなこともして、時には叱って時には励まして、時には大げんかして娘と向き合っていた。




だから、継子の部活への想いがすごい。



写真を見ながら泣いていて、パパ子は頑張ってたなぁ。あいつのこと、抱きしめてやらなきゃ!って、義実家にいるパパ子のところへ行ってギュッてしてきたらしい。



継子は恥ずかしがって嫌がっていた素振りだったらしいが、まんざらでもないと思う。






旦那は、いざとなったらちゃんとやる人だ。




誰にも忖度などしないし、感情むき出しにするし、大げんかするし、鬱陶しいけど、



そこには愛がある。




愛しかない。



娘とも、いざという時は必ず向き合うし、叱るし、抱きしめてあげられる人だ。



だから、どんなにチャランポランなことをしてても、私は彼を尊敬している。

彼は不器用だけど、とても熱い心を持っているから。





中途半端な私なんかとは、やはり覚悟が違うし、当たり前かもしれないけど




ちゃんと継子の「親」なのだ。



私はそれを見て、自分がいかに臆病でダサい人間なのかを思い知らされる。




表面上では上手くやれているけど、そんなのは何の意味もない。自分を取り繕っているだけだ。




私は、継子を産んであげたかった。




私は、継子を赤ちゃんの時から育ててあげたかった。




継子のことを心から、愛してあげたかった。










でも、できなかった。



我が子が生まれたから、余計に我が子とは違うのだと感じる。




我が子のように、笑っただけで一喜一憂できたり、一つのことができただけで喜んだりできない。






我が子のように育てるなんて、夢のまた夢だ。






そんなの、正直無理だ。






継母はそんな簡単なもんじゃない。

継母になるというのは、人生の修行のようで

一筋縄ではいかない。





でも、だから何?




それでも、継子とぶつかり合わなかった事はチャラにならない。




現に、継子は「義実家で祖母と暮らす」ことを選択している。



それは、私のせいだと思う。



どんなに取り繕っても、その事実だけは変わらない。





私は大人だから、私が大人にならなければいけなかったのに

継子に複雑な思いをさせている。



私は大人のくせに、子供の継子を傷つけているのかもしれない。





継子の本音は、継子にしかわからない。







私のことを責めていいのは、継子だけだ。


 



私は継子と向き合えないけど、継子の気持ちを心に刻む。




継子のことを愛せないけど、継子のことを思う。





全ての気持ちを受け止める覚悟はある。





罵倒されても、無視されても、仕方ない。








私は、継子の母親でもママでも継母でもないけど、継子の事を絶対に心から追い出さない。




継母もどきとして、継子の人生の片隅に居座ろうと思う。




こんな中途半端な存在でも、いつか何かの役に立つ日が来るかもしれないから。




継子が困っていたら、力になってあげたいから。





それぐらいしか、私にはできない。








私が、継子を産んであげたかった。







継子を、産んであげたかった。