街道を歩く旅。 | ママゲリア聖子の大阪ロマンチック

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北大阪在住、食いしん坊で呑んべえのなかよし夫婦のいろいろを記録しておきたいと思います。こんなに楽しい毎日、本当に感謝しています。

晴れ男、雨女とはよく言われますけど…。そんなのただの偶然のはずなのですが、私たち、ほとんど旅先で傘をさしたことありません。

今回だって、梅雨の真っ只中。前日は一日中雨が降っていました。
それでも、またもや天気に恵まれてしまった。根拠ないのはわかっておりますが、
「自分は晴れ男。」
「いえ、私こそ晴れ女。」
って、ますます自信持っちゃいましたよ。

そして、2日間ともカンカン照りにはならなくてとても涼しく、時には風が強く吹いて肌寒いこともありました。

三重県の「松阪」という地名を聞いてよだれを垂らす人もおられることでしょう。
え?そんなのうちだけ?

高級すき焼きの「和田金」、「牛銀」という有名店ならずとも、美味しいブランド牛を食べられるお店が街のあっちにもこっちにもあるのが松阪です。
いちばん好きな動物は牛、と答える人たちで構成された我が家、これまで何度か松阪牛を試しにそんなにお店にも行きましたが、

しかし、今回選んだお店はこちら。

ホルモン焼き肉の「一升びん」です。
これぞまさしくB級グルメ。

松阪市内にも名古屋にも数店舗支店がありますが、私たちが偶然選んだのが、おそらくいちばん古びてる建物。お店の場所も、風俗店のひしめく妖しいエリアにあります。
さすが松阪。流通しているホルモンの新鮮さも違うのでしょうか?
レバーもテッチャンも美味しかったよ♪

さて、歴史街道歩き旅、まだまだ行きますよ。
松阪城跡の足元の武家屋敷群の残るエリアです。松阪は、商人の町として有名ですが、武士の館も残っています。


突然、時代劇のオープンセットのような江戸時代そのままの街が出現します。
松阪城は、徳川ご三家のひとつ紀伊和歌山藩の領地だったそうで、江戸時代は天守閣は持たなかったと言います。けれど、今もリアルにおさむらいさんの暮らしぶりを感じられる点で言えば、全国でも有数の名所だと思います。

生け垣はすべて槙の木。屋根は、台風の通り道になる地方だということもあり、幕末からすでに瓦葺きだったそうです。こちら、どこの産の瓦を使っているのでしょう?名張かな?

お城の山に登って、町割りを確認してみましょう。

いちばんお城に近いところにある二棟の長屋。与力といわれる、殿様に直接会見することの許された位の高い武士の住まいだったそうです。社宅のテラスハウスみたいな雰囲気です。

その中の一軒は、資料館として公開されていますが、当時の武士の子孫が住み続けてるおうちが五軒、残りは賃貸物件だそうです。現代の日本で、こんなところで子育てできるなんて最高!
吹き抜けの天井はふさいで、土間も床を板張りにしているそうですが、風が吹き渡って静かで快適。

住めるものなら私も住みたい!

老後こんなところで子供たちやシニアの皆さんのお絵描き教室するのもいいなぁ。


苔の美しい庭を見ながら縁側でおさむらいさんごっこもできます。


展示されてる裃があまりにも小さくてびっくり。私には入らないよ。

無料で公開されている上、今もここに住んでいる武家の子孫のご家族が、生き生きと当時を語り、どんな質問にも詳しく答えてくださいます。
明治維新の時にみんなで合弁会社を設立し、不動産運用を始めた事業が今も続いてるというあたり、さすが商売上手な松阪人、おさむらいさんもなかなかやり手です。


近くに「原田二郎邸」という、明治時代に全国で初めて慈善事業を始めた偉人の住んだ家も公開されています。
銀行の頭取だった人が、どどんと10万円、今のお金でいったら10億円を市に寄付し、金利のよかった当時、その利息を運用して市内小学校の給食を始めたそうです。
儲け方も、有益な使い方も知っているのですね。


かつての藩校は、後に工業高校になりました。ただの進学校にせずに実益を学ぶ学校を設立したところも、松阪らしさでしょうか?


旅の最後の目的地は「名張」。

こちらには、「而今」(じこん)という憧れの酒を醸す蔵元があるのです。
この酒は、なかなか手に入らないんだ。まだ飲んだことありません。


街道の面影の濃い町割りに風情があって、お散歩によいところ。夕方、家の外で花の手入れをしたり、孫を夕涼みさせる人たちの姿があって、温かい人の暮らしが見られるとなんだか嬉しくなるのです。

幻の銘酒の酒蔵発見。

ここでも而今は買えないし、近くの酒販店にも置いてありませんでした。
いいの、いつかどこかで出会えたときに、
「この酒の生まれた町にいったことあるね」
と語り合えたら楽しいでしょう?

小高い岡の上にある神社の森から駅へ下る途中、「名張中学校」発見。この学校の略称は「なちゅう」かな?「めいちゅう」?いや、「ばりちゅう」だったらカッコいいよね。バリ中。
まるでヤンキーみたいなノリですが、部活帰りの子供たちの様子から、質実剛健な校風とお見受けいたしました。

飲み放題食べ放題歩きっぱなし乗りっぱなしの我々の旅の〆は、名張の駅前の店で食べた牛汁です。



いよいよ、大阪方面向きの列車に乗る直前、駅前にまるで立呑屋のようなカジュアルな居酒屋を発見。実際には椅子がありますけど、飾り気ないその店の入り口でひらひら揺れていた「伊賀牛  牛汁」という旗の文字に妙に誘われて。
地元のおじさんたちで賑わっております。明るい時間ですけど、すでに皆さんゴキゲンです。

牛汁とは、どんな料理が出てくるんでしょう?


ワオ!
皆さんご存知でした?
まさかの牛肉入りお茶漬け。鶏飯に似てるかな?
焼おにぎりに、薄味で煮た薄切り牛肉と優しい出し汁がかかっています。

たとえば寒い冬の帰り道。
電車を降りて、家路につくまでに、軽くお腹に入れて温まりたい寂しい人にもきっと優しい一品です。駅前酒場で、ぽっと心に灯がともる。
若布と卵焼きと蒲鉾という具材と葱と生姜。そして、途中からキムチを投入して風味を変える趣向も気が利いております。

合わせた酒は、「若戎」(わかえびす)。沿線の青山という駅の近く、阿保にある酒蔵に行ったことがあります。こうしてよその土地でラベルの文字を目にすると、かつての旅の思い出が甦ります。

地元の味をいろいろ食べ尽くした今回の旅。
牛と鮑と伊勢海老という三大グルメが自慢の三重県ですが、そんな高級食材にはそれほどご縁がないままでしたけど、満足いたしました。

ひたすら街道筋を歩く私たちの旅。いにしえの香りを嗅ぐ町歩きを通して、未来の人々の幸せとはなにか考えます。

実は、古い町並みが残っていると書かれていた県庁所在地「津」(つ)の駅近くのエリアは、すっかり整備されて道路が拡張され、新しい住宅が並んでいました。
それはなんだか寂しいことのように思えますが、無理もないこと。

または、古い町家をリノベーションしてカフェやレストラン、ギャラリーなどお洒落なお店にしているエリアもあります。人の流れがあると、街が生き返ります。

孫と暮らすお年寄りの笑顔は、どこの町でもかけがえのないものに思えます。なくしたくないものです。
そして、かつての宿場町を通りかかるとき、旅人をもてなしてきたDNAとでも言うのでしょうか?地元の方が、通りすがりの旅行者にたいして、笑顔で会釈してくださいます。お伊勢参りは、金銭を持たずに旅しても、沿道の方のご厚意で無事目的地まで行けたと言います。

「どちらからいらしたのですか?」
という意味の言葉を、その地方の訛りでかけてもらい、にっこり笑みを交わす、そんなふれあいに対するご恩の気持ちが、自分のなかに堆積していきます。そうして、好きな街がまた増えていくのです。


大したものだと思うのは、街道沿いの江戸時代のインフラ整備が、日本国中どこへ行っても似たように出来ていること。

町家建築も、それぞれの地方独特の細かい特徴はありますが、雨が多い、寒いなどの気候に合わせて調整したことによるものでしょう。大工の技術の水準がどこへも伝わっていたことに驚愕します。

参勤交代大名行列って、地方の隅々にまで同じ血が通うために絶大な効果を発揮したのですね。
伊勢商人、近江商人、富山の薬売り…足を使ってものを売り買いしてきた人々の功績も大きいでしょう。

今、栄えている地域と元気のない地域、その差はどこから来るのでしょう?元気な未来のために何をなすべきなのでしょう?

近鉄週末フリーパス、2日間で十分元を取りました。次の旅はおそらく夏に「青春18切符」を使うことになるかな?
そして、旅のスタイルもおそらく同じようなもの。

ごめんね、読者のみなさま。旅行記読んでも何もエキサイティングなことはおこらないし、トレンド情報もありません。ゴージャスな宿にも泊まりません。




こんなものを見つけて喜んでいるだけ。