実の母というものがいない身でありながら、後年、年を重ねてから「母の味」という評価を与えた料理が数多くあります。

 

経験したことはないが、おそらく、「母の味」とはこのようなものであろう、という失われた存在しない故郷に想いを馳せるような料理が、そのような評価を与えられることになります。
 

私は日本人ですので「母の味」と書きましたが、それが韓国料理であれば「オモニの味」、イタリアンであれば「マンマの味」というような言い回しになるでしょう。同じ日本人であっても、「おふくろの味」と書くとまた趣が違ってくるような気がします。
 

まあ、母親というものがいないので、ぜんぶ想像で書いているのですが、特定の母を持たない分、メリットもあるように思います。
 

それが母であろうがママであろうがおふくろであろうがオモニであろうがマンマであろうが、それが「母」に属する味に感じられれば、どんな母であっても抵抗なくすんなりと受け入れる準備が私にはできているのですし、そのような料理を食べるたびに「母」という概念をなんとなく実感できるわけです。
 

私にとっては、産みの母よりも、そのような概念としての「母」のほうが重要です。家庭料理というのは、まさに、私にとっては、血の繋がりのない家庭のぬくもりのようなものなのでしょう。
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