やっと「限りある時間の使い方」を読破。
「自分が楽しいと思えることが最善の時間の使い方かもしれない」
って書いてあって、それは本当。
それと、「今」を大切にすること。
ここにある幸せに人って気付きにくくて、失ってから気が付くってことも多い気がする。
子育て時代に、まだネットが発達していない頃に、全国レベルのママたちのサークルがあって、子育てで社会から遮断されてるママたちがいろいろな活動をしていたのだけれど、私は埼玉支部で子育てマップ作りに参加したり、アウトドアのサークルに入っていたのね。それで母子でペンションに泊まって、野外活動を楽しんだことがあったのだけど、その時に、保母の資格を持っている方に「ネーチャーゲーム」を教えてもらったんです。ただ、自然の中に放り出されても、気付かないのだけれど、例えば木の幹に耳を付けて音を聞いたり、地面をじーっと見てると、虫の抜け殻が見つかったり、いろんな虫たちがごそごそ動いたりしているのが分かるんです。
それ以来、普通に生活しているときも、街路樹の花や実、雑草の花、そういうものにすごく気が付くようになってスマホで写真を撮ったりしているんです。
でも、普通の人は、あまりそういうことに気付かないみたい。
今日〇〇の生垣にやまぼうしの実がついてたね、とか、××の花がきれいにさいてたね、とか言っても、みんな「え?そうだった?」って感じ。
そういうのも「見逃してる幸せ」みたいなものじゃないかな?って気がしてて。
今日は、冬になってすっかり葉が落ちた四ツ谷駅ちかくの石垣にカラスウリの実が黄色くなってぶら下がっているのに気づきました。
多分、四ツ谷駅を利用している人、ほとんどの人が気付いてないと思うけど、しっかり写真を撮ってきましたからね。
(ま、それに価値を感じなかったらそれまでだけど、それを感じられる自分の感性が好きだったりするから、ほっといてほしいです。うふ。)