平安時代の庶民の食事は主にお粥
一日朝夕の二回
先ほど二回目の食事を16時にとりました。
平安時代が好き過ぎる担当、江戸紫式部です。
雑穀をついて
採ってきた自然薯を混ぜて芋粥にして
食べて暮らしていたそうです。



自然薯はミニチュアでは無いので
薩摩芋で代用してしまいましたが、
薩摩芋が広まったきっかけは
徳川八代将軍吉宗に登用されていた
江戸出身、蘭学者の青木昆陽が1732年
享保の大飢饉で餓えに苦しんでいる中
何とかせねばと唐の国の農業書に飢饉
の際の非常食として甘薯の栽培をしている
記述があり、それを甘薯栽培書「蕃薯考」
にまとめたのを江戸町奉行大岡越前守忠相に
知れ渡り、吉宗に
●簡単に栽培でき
●土の中に芋が沢山でき雨風に強い
●穀物の変わりになりお酒も造れる
を説いて青木昆陽は甘薯栽培責任者として
任されたそうです。

「お米不足?で買溜めに」という噂が
流れておりました。芋があれば何とかなるの
ではないかと思いますので踊らされずに知識
や知恵を絞って何とか暮らせられればと思って
おります。