長男が不登校になった時に

周りから「繊細だね」と

よく言われた


不登校=繊細

この構図は

世の中を見渡して見ると

よく使われている


近年で分かりやすい例だと

コロナ=マスクでしょうか


世の中が伝えているメッセージが

いつの間にか当たり前となり

イコールと変わっていく流れ

一般的に言われている洗脳って

多分、こういう仕組みだと思います


そして、何年もかけ、個人の中で

固定概念として定着して行きます


刷り込みの構図

この断定する行為は

必ず、対立構造を生み出します


不登校=繊細で見ていくと

社会的には、繊細だからと

学校以外に通える受け皿が作られますが

その反面、繊細なままでは

社会に出てから生きていけないと

言う発想が生まれます


「繊細だね」の言葉と

同時によく言われたのが

「尻叩いてでも引っ張ってでも

行かせないと駄目だ」でした


極端な考え方が出来上って行く中で

問題に目を向ける人も

増えてはいきますが

現実的には、不登校は増え続けています


結局、解決策でさえ型にはめて

誰かが作った安心なレールに乗らされて

いるに過ぎないのです


あなたは、こうだからと型にはめると

人は、とても扱いやすくなるからです


「あなたは、繊細だから」


あなたを繊細だという箱に

閉じ込めて

だから、こうしましょう

あーしましょうと言われたら

はいと従ってしまう


繊細さ


それは、その子が持つひとつの側面でしか

ありません


学校での重なった出来事がきっかけで

繊細さが、全面に出てきたに過ぎません


繊細さを

何かを作り出す為に

使ったならばどうでしょうか

素敵な物が出来上がったり

誰かを喜ばせる可能性を秘めています


物事をひとつの側面だけに捉われた時

この構図は

私達が私達の内側に

自ら招き入れてしまいます


何か疑問や違和感を感じたなら

本当にそうなのだろうかと

少し距離を置くと良いかと思います


人には、それぞれの人生の課題があると

私は思います

それを、しっかりやる為に

繊細さを使う体験をしたに

過ぎなかったのです


自らが自らの力で

繊細さを使いこなせるように

なっている方が

人生を豊かにするエッセンスを

手にする事になります


自らが上手く繊細さと付き合う術を

手にしたならば

あなたから

奪う事は出来ません


この世は

人が作り出した時間

というものがルールとしてあるので

体験が、何年、何十年とかかる場合も

あるでしょう


ですが、体験があったからこそ

気付けた事だったと腑に落とせた時

こんなに時間を使ってしまったなどとは

なりません


あの時間は必要だったんだと捉える様に

なります


その体験から腑に落とす過程は

人にとっては、本当に大変だと

感じる事も当然ながら

あると思います


ですが、その先を見据えた、その先の自分は

今よりも、心が軽くなり

物事の捉え方も広がり

違う世界を観ているはずなんです


そんな先の未来からの視点なので

難しいかもしれませんが

今が、上手くいってないと感じても

なんとかなる様に必ず進んでいます


自分の中の

なんとなく感じる感覚が

本質の自分に近づいていく

道標になっています


なんか、おかしいな

なんか、違和感があるな

なんか、行かない方がいい気がする

なんか、いい感じがする

なんか、心地いい

なんか、大丈夫な気がする


こーです、あーですと

はっきり分かりやすい方が安心でしょう

ですが、本質の自分と繋がっているのは

なんとなくの様な

ちょっとぼんやりしている様な

そんな、淡い感覚だと感じます


情報も多くて

何を信じたらいいのか

分からなくなりやすい時だからこそ

自分自身と繋がっていくと

いいのかなと思います♪