それは、たわいもない日常の会話を聞いていた時だった。
娘のお稽古事の間に交わしていた、ママさん達との会話。
ママ友4人でコンサートに行くんだっていう話や、週に1回友達とウォーキングしてるんだっていう話や、朝に突然友達が「今からイオンに集合ね」と言ってきたから慌ててイオンに直行した話・・・。
微笑ましいママさん達の日常をにこやかに聞いていた時に、突然、京都で過ごしていた時の自分のそれと重なったのだ。
京都にいる友人たち・・・
かれこれ20年以上もの時間を過ごしてきた、自分の分身のような友人。
息子を出産した時から、子育ての苦楽を共にしてきた、子供たちのことまで理解しあっている友人たち。
カナダから帰国して倉敷に来るまでの1年間、ヒマさえあれば会って、お互いの依存度を高め尽くした友人たち。
京都には、広い空はなかったけど、私には大切な友人たちがいた。
狭い空間に、心地よい友人たちがぐっと詰まっていた。
その京都での日常が、突然、堰を切ったように私になだれ込んできた。
京都で友人たちに囲まれてキラキラしていた日常が、とてつもなく恋しくなった。
倉敷には広い空があって、いつも静かでさわやかな風が吹いていて、私はそれをこよなく愛している。
新しい土地に住むことには、とてもわくわくさせられて、私はそんなわくわくが大好きだ。
岡山弁を聞くたびに、その可愛らしさには笑みが出る。
四季の移ろいを見せてくれる田んぼと鳥のさえずりは、私の自慢だ。
でも、ここに友人たちはいないんだと思うと、急に、泣きたくなるほど淋しくなった。
でも、家に帰って、息子が帰ってきて、夫が帰ってきて、家族がみんなそろったら、忙しく時間が過ぎていき、気がついたら大声でわははと笑っていて
そんな自分にまた、わははと笑った。