酔っ払いの父の日 ③ | Spin Spin

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大好きな人、映画、漫画、小説、曲など自分の琴線に触れる物が毎日風化していかないように書き留めておきたくて始めました。自分の好きなものをその日の気分で一緒に載せています。これをふらっと読んで下さった皆様の1日と私の1日が不思議と合致することがあったら面白いな。








 

 暴れてしまうことも増えてきた父は、医者から精神安定剤を処方されていました。

それは母が厳重に保管し、どうしてもという時にしか父に飲ませてはいませんでした。



昔、狭心症の時に処方されたニトログリセリンを未だに持ち、

「俺はこんなのも貰っちゃってるかんね」

と、武勇伝のように見せびらかしてくる父。

今思えば、本来気の小さい父は怖かったのだと思います。

毎日どこかしら痛む身体に。

増えていく薬に比例する不安定な自分の心に。


その不安を酒で忘れさせては蓄積されていくアルコール。そしてアルコールを分解できずにどんどん悲鳴をあげていく肝臓。

そして、そのアルコールはついに父の脳にまで達してしまいました不安



その頃にはもう、コップ一杯にも届かないビールを飲んでも、父は泥酔してしまうようになっていました。

めそめそと泣いたり、死んでやろうかと叫んだり、押し寄せる不安からか、夜中には眠ることができずに母が隠していた精神安定剤を探す父。


一度父は、その安定剤を見つけてしまったことがあります。そしてそれを「ビールで流し込んでやった」と笑っていました。

私や母は青ざめました。


案の定そこからの父は、安定どころか余計に不安がり、泥酔ぶりも普段よりも酷く手におえませんでした。

自分自身でも辛かったのでしょう。

最終的にはトイレで嘔吐をし、いつもよりもずっとふらふらとしていました。

それでも、そんな風にまでなっても、少し時間が経てば、軽トラに乗っていつものように缶ビールを買ってきてしまうのです



それだけ身体に負担がかかった翌日の父は、さすがに布団から起き上がることができなくなります。

その時は苦しそうに唸ったり、たまに大きな声で叫んだりしていました。

その声は、家の少し離れた部屋にいても地鳴りのように廊下を這って響いてきて、私はいつもなんともいえなく胸がギュッと苦しくなるのでした悲しい

大丈夫かなと様子を見に行くと、父はシッシッと手で払う仕草をしたり、「いてぇよいてぇよ」と言うだけで、私もどうしてあげたら良いか分からず、しばらく苦しむ父のそばにいて、その姿を眺めているだけでした。



そんな時に父が求めるのはやはり母で、下の階で食事の準備や家事ををしている母のことを二階から呼びつけます。

母は急いで階段を駆け上がり、父の居る部屋に行くと、父は身体が痛いからマッサージをしてほしいと母に懇願するのです。

そのマッサージは母の日課となり、毎日時間をかけて父の身体中を揉みほぐしてあげていました。

父の体は浮腫みがものすごく、足首の周りなどを親指で押すとボコッと凹み、朝押したものが夕方まで戻らないことも日常茶飯事でした。




いつだったか、日中父が見当たらないことがありました

母も私も父の姿を探したけれど、家の中のどこにも見当たりません。

二階の窓から、借りている空き地の駐車場を覗いてみましたが、軽トラも乗用車もあり、出かけた形跡もありません。

歩いてコンビニにでも行ってしまったのかと母と考えましたが、腰も痛がっているし、かなり距離のあるコンビニまで自分で歩いて行くのなら、私たちに頼んでくるだろうという話になりました。


夕方になっても見つからない父驚き


私たちは怖くなり、もう一度くまなく父を探して回っていると、空き地に停まっている軽トラの中に父はいました。

足を投げ出すようにシートに寝転がり、イビキをかいて寝ていました。

足元には500リットルのビールの空き缶が4本。

昼間軽トラで酒を買いに行き、家で飲むと叱られるから、そのまま軽トラの中で飲んだのでしょう。



寝ている父を無理やり起こしたけれど、完全には起きることができず、祖父母に見つからないように二人で肩を担いで二階へ運びました。父の体は鉛のように重く、身体中から発するお酒の匂いは、もう完全に父の匂いそのものとなっていました。



父の病院代や薬代。パチンコと酒に家のお金は消えていきました。

専業主婦の母にはどうすることもできず、毎月毎月足りなくなるお金に、祖父母からの小言、毎日酔っ払う父の世話に、母も限界を迎えていくのです。。。





つづく