酔っ払いの父の日 ① | Spin Spin

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大好きな人、映画、漫画、小説、曲など自分の琴線に触れる物が毎日風化していかないように書き留めておきたくて始めました。自分の好きなものをその日の気分で一緒に載せています。これをふらっと読んで下さった皆様の1日と私の1日が不思議と合致することがあったら面白いな。


 

 

 

 



私の父はアルコール依存症でした悲しい

肝硬変から、食道静脈瘤を患い、最後は肝臓癌で亡くなりました。

その全てが、過度の飲酒によるものからでした。





私の父は職人で、親方である私の祖父のところに修行に来ていました。

その祖父の娘である私の母と結婚をして、私と弟が産まれました。


自営業だった祖父たちと一緒に住み、父はいわゆるマス男さん状態で、そこは同時に親方の家でもあったのですから、父の居心地が良かったとは言えなかったのでしょう。

寡黙で、どちらかというと色々なことにまで気が回ってしまう父は、少しずつストレスを溜めていったのだと思います。




小さい頃の私の父の記憶は、酔っ払って狼のような犬のような獣の真似をする父。


夕飯も終えて私は自分の部屋へ戻り、しばらくしてから父と母が寛ぐ二階の和室に行くと、こたつでテレビを観ている母と、その横でお酒を飲んでいる父がいました。


父は私を見つけると、獣のように四つん這いになってグルルルと喉を鳴らします。

私は「キャー」と叫び、母の後ろに隠れます。すると、獣の格好のままで追いかけてくる父。

しばらくそんなごっこ遊びをして、私はハァハァと大きく息をしながら母の横に座ると、父は私が座るのを許さないかのように、未だ獣のままの姿で再び私のことを追いかけ回してきます。

「やめて」と言ってもそのごっこが終わることはなく、私は泣き出してしまいました。

母は笑いを含みながら父に「もうやめなよ」と言っていますが、父はまだまだ私のことを追いかけ回してきます。


私はあまりの恐怖に父と母の部屋を飛び出し、階段をドタドタと下って、祖父母のいる一階に逃げました。

身を隠し、壁からこっそり二階へと続く階段を見上げると、グルルルと唸りながら二階の踊り場でウロウロしている父。

その姿は、幼い私からすると本物の獣のようで、普段とは違う夜の父の姿がとても恐ろしかったことを覚えています。


思えばあの頃からもう父はお酒に支配され始めていたのでしょう。





私が専門学校に通うようになった頃、明らかに父のお酒の量は増えていました。

そして普段の口数は更に少なくなり、しかめっ面をすることや、家族でテレビを見ていても芸能人にヤジを飛ばしたり、様々なことに不平不満を言うことが増えてきました。

ちょうどそのくらいの時に、父は仕事で腰を傷めてしまい、しばらく無理をして仕事をしていたようです。



そこからどんどん腰は悪化し、仕事を休むことが増えてきた父。

昼間はやることがなく、家のコタツでビールを飲む毎日。一応仕事がお休みの日曜日には、朝からパチンコへ。



そんな父の姿を見て、動けるんだったら仕事しろ!と思う祖父は、真っ当だったと思います。


父としては、いつまでたっても経営のことについてだけは何も教えてくれない祖父に憤りを感じ、自分は信用されていないのだと愚痴をこぼしながら夜毎酒を飲み、休みの日にパチンコに行くくらい良いだろうと言っていましたが、父の言い分と、仕事を休んでいるのにパチンコへ行くこととの脈絡は無く、私は口にはしなかったけれど、そりゃ怒られるよと内心思っていました真顔



元気印で楽天的な祖父は、父の気持ちを分かるはずもなく、祖父がいつも何気無く言う言葉ひとつひとつが、父には全て自分に向けられているように思えて、いたたまれなかったようです。

祖父や祖母が父の愚痴を言う相手は、いつも母。

母も、父からは自分の親の悪口を聞いて、祖父母からは父をどうにかしろと嗜められ、板挟みになっていました。

一番辛かったのは間違いなく母だった思います。




父の腰はヘルニアと診断され、入院することになりました。しかし、手術をしても腰が完全に良くなることはなく、家に帰ってきても一日仕事に出れば残りの日を休むといった状況でした。そして毎日昼間から酒、酒、酒。

父の白目はいつも黄色っぽく濁り、その頃には肝硬変食道静脈瘤も見つかりました。




当時の母は専業主婦だった為、朝から晩まで父と一緒。朝起きれば祖父に、父は今日も仕事に出ないのかと責められ、父に酒を飲まさないように酒を隠すと、うちには酒を買う金もないのかと父に怒鳴られ、母は毎日泣きたかったと思います。  


酒が無いと分かると、会社の軽トラに乗って自分で酒を買いに行ってしまう父。

そんな時に事故でも起こしてしまったら大変なことになってしまいます。

母は泣く泣く缶ビールを数本だけ二階の冷蔵庫に入れ、父が酔って眠ってしまうのを待ちます。




でも母は、大人になった私に父の小言を言ってくれるようになりました。

祖父母との愚痴もそこで沢山聞けました。

この瞬間は少しでも母のストレスが発散できているのかなと、私は安心したし、嬉しかったことを覚えています。


 



そんな矢先に事件は起きました


父が参加していた慰安旅行先から一本の電話がありました。電話先は、父が一番信頼している職人仲間のMさんからでした。

その旅行は、父が会社の下請けの仲間達を集めて作った会の、一年に一回行う旅行で、父が唯一気を許せる仲間達との楽しい旅行のはずでした。




電話を取った母の顔はみるみる曇っていったことでしょう。

もう家にいた私は、すぐに母に呼ばれました。

「実はお父さんが、旅行先の宴会で暴れちゃって、仲間の皆んな旅館の人を殴っちゃったらしいの」

さすがの母も、下を向きながら泣いていました悲しい

「旅館の人が連れて帰って欲しいって。皆さんにご迷惑をかけてもう情けなくて情けなくて」

普段は明るい母が、うつむいて涙を流す姿はあまりに可哀想でした。

「もうしょうがないよ。私も行くから、とりあえず早く出よう」



場所は松島。私たちの住んでいるところからは、当時は車で6時間くらいはかかりました。今から出ても着くのは朝方。

運良く父の実家が松島から車で一番時間ほどのところだったので、実家のお兄さん夫婦が父を実家に連れて帰ってくれることに。


旅館の方や仲間の皆さんに頭を下げてもらうのは本当に申し訳なかったのですが、一刻も早く父をその場から離した方が良いだろうと判断し、ひとまずはお兄さん達に父をお願いして、明日私たちがそちらに着いてから再度旅館に謝りに行こうという話になりました。



 

 

つづく