よっちゃんを学校に戻してやりたいと思っていたけど、本人が嫌なら無理に戻さなくても。という気持ちが大きくなり、好きなことを好きなだけさせようと思ったら少し気持ちが楽になった。



すっごい楽になったかというと、すっごいではない。少しだけ。本人がこれから通る道を想像すると不憫さは消えないので。


かつ、学校にいかないことも変わらないので。

学校にいかない、勉強しない以外は普通に過ごしてる。


ブログに書くような劇的な変化もなければ、面白いこともなく、言い方を間違えるとかなり暗くなってしまうので、書くことないなーな日々。


兄はもう把握不能。毎日どっか行ってるから学校には行ってんじゃない?みたいな。夜は帰ってくるので、帰巣本能あるね、と。



よっちゃんは変わらず。


学校とは距離を置いていて。お友達には会いたい、行けるなら行きたい、でも行けないし行きたくない。みんなと一緒の公立中には行きたくない。でも受験勉強する気にもならない。


行けるんだったら行くよね。

勉強できるならするよね。

わかるわかる。



行った方がいいことなんか、勉強したほうがいいことなんか本人も親も分かってて。頭では分かってるけど行動できないジレンマ。周りがギャースカ言っても、無理なものは無理。どんなに配慮されても、無理なものは無理。


特別な配慮してやってんのに、と学校に言われても、無理。そもそも特別な配慮してくれなんてこっちは言ってない。求めてないものをあれこれ持ってきて、してやってるって言われてもなー。


後半は愚痴でした。


割とシンプルだけど、ここに辿り着くまでは長いよね。ここまでの葛藤も。



小学校、いまは色んな配慮をしてくれるんです。でも理解はしてないから。時々顔を出すよね「特別な配慮、してやってんだぞ」て。先日は直接言われたし。



ありがとうございますって言葉には出すけど、内心は「うるせぇ、特別とか言うならやらなくていいよ」とも思ってしまう。



この自分の感情に、私自身が驚いてしまう。

あれ、これ、なんか私が思春期っぽくない?

反骨すごすぎない?



そもそもその配慮する決断をしたのは学校であり、私や娘が「どうしても」と懇願したものではない。


なぜ恩着せがましく言われなければならんのだ、と。求めてもないのに「お前のためを思って」と言われる違和感に、アラフィフが反骨するっていう謎な構図。



ことあるごとに言われる上に、先日、いらないって言ってるのに、学校から配慮しました!受け取って!と言われるような出来事がありまして。




鳥ねぇ、変なこと聞くんだけど、こういうのが嫌だったりするの?


ハムスターようやくわかってくれた?そうなんだよ


鳥あー、なるほどね。学校としてはすごく配慮したんだと思うから悪く思わないでいようか。こういうのを「いらねーよ」て言うと、相手の神経逆撫でしちゃうから


ハムスター知ってるよ、だから何も言わないんじゃん。だからわたしつらくなっちゃうのよねー。


鳥少し言ってみる?気持ちが楽になるなら。それかおかんさんが言ってもいいよ


ハムスター年取ると恥がなくなるって本当なのね。言わないでよ。



理解するふりをして近付いてきて、思うようにならないと押し付けがましい←こんな場所に私なら行きたくない。


よっちゃんが学校にネガティブにならないように、学校の悪口は言わないでいるけど、私の方が学校嫌いになりつつある←頭のおかしい親が爆誕してしまった。



身近な人には言えない真実。

嫌いになりつつあるわけじゃない。嫌いだ。

不登校娘の母、娘より学校嫌い。




トラおまえそれ小学校に言うなよ。私は昔から学校が嫌でしたとか。頭おかしいとしか思われないぞ。あとよっちゃんが気にやむから。


ギリギリ言ってないわ。


あんなに兄の時は頭おかしかった夫なのに。妻がおかしくなると、普通の面してくる。不思議。


娘には言わないよ。最後の親づらラインをどうにかキープしてるふり。学校からの電話は3回に2回は無視。





私が色んな気持ちを手放したら、不思議とよっちゃんが落ち着いてきて、夜に一緒に散歩したり、週末は友達と出かけたり、活動的。




せっかく学校行かないんだから、と、平日に休んで推し活に勤しんだり。(娘は年中休みなので母が休むという構図)


推しの力、すごい。


推しによってエネルギーが枯渇してても活動でき、枯渇した状態で活動しても、場に行くとエネルギーチャージされる。



わたし、外国だと発達障害者は過ごしやすいのかと思っていたのだけど、本人の辛さはどこの国でも変わらないらしい。


これを読んで、外国(この本の事例は英国だけど)も同じということがわかった。なるほど。なるほど。



この本に出てくる人々、自分の出し方を矯正して人に合わせて自分を振り返り自分に向き合い続けてる。30歳超えたあたりで徐々に折り合いがつき始める。




こんなに世の中で揉まれて迎合しようと試みて、なお生きづらさを感じながら生活を続けていくのか。



で、思った。よっちゃんは家の中くらいはそのままで過ごしてもらおう。



子供には高確率で幸せになって欲しいけど、今のままで社会と迎合させようとすると高確率でよっちゃんが折れ曲がってしまう。


荒波すぎる波に揉まれて転んでまた起き上がって波に挑み続ける日がくるんだと思うと、家くらいは今くらいはよっちゃんの好き勝手にさせてやりたいよ。



いつか立ち上がる日まで。

まだまだ続く、よっちゃんの戦い。