シンママ園田貴子です


今日は、あの有名な

麹町中学校の校長先生の

『体育』に対する見解


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体育を子どもたちのために一生懸命指導している先生たちに申し訳ないと思いながら、あえてこれを書きます。

僕は麹町中の校長のとき、信頼する2人の体育の教員にこんな質問をしました。
「なんで、跳び箱やらマット運動、鉄棒などやるの?」
「そもそも学習指導要領に何をやりなさいなど、そんな細かいこと書いてあるの?」
「何でこれが上手にできるようにならなきゃいけないの?」
「それを上手にできるようにする教員が優れているの?」

私はさらにこう付け加えました。
「もともと体育は戦争にいけるような丈夫な体をつくるためにさまざまな種目が考えられたんでしょ。」
「確かに逆上がりできなかった子が、苦しみながらも試行錯誤してできるようになった時の喜びは、その子の人生において特別なものになっているかもしれないけど、そもそもすべての子どもにそんな体験させる必要があるのかなあ?」
「体育の目標は運動を生涯にわたって楽しめるようにすることじゃないの?」

教員はそんな質問されて驚いていました。もちろんそんなこと、今まで改めて聞かれたことないからです。
もちろん、嫌がらせでこんなことを聞いたわけではありません。
「だからこそ、みんなが楽しめる体育にしよう。何の種目を扱うかなど、カリキュラムも含めて改善していこう。」
と繋がっていったのです。
そして、同じようなことを音楽や美術などを含めて多くの教員とも話し合いました。

素敵な体育の先生たちとの出会いで人生を豊かに歩むことができた子どもたちがたくさんいます。しかし、個人的には「体育」は名称も含めて、改めて考え直す時がきたように感じています。
学校の目的は、誰一人置き去りにすることなく、社会でよりよく生きていけるようにすること、そして、よりよい未来の社会の姿をつくっていくこと。
学校はそのためにあるのだと、私もようやく最近言語化できるようになったばかりですが、体育に限らず、教師になろうとする人は、そもそもなぜ教えるのかを常に自らに問いかけ続けていくことが必要です。

他者の違いを尊重し、主体的に生きる子どもたちの育成が求められる今、教師こそ、そうした人間として成長しなければなりません。
新型コロナや災害などが度重なっておこっている現在、国や文科省におんぶに抱っこじゃなく、我々自身が当事者としてできることをやっていかなければならないと考えます。
(Facebookより)
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我が家の子供たち

11月でも

いつでも江津湖で泳ぐ長男坊。

(2月も散歩中の人がびっくり
するけどパンツ一丁で泳ぐ)
  



足が早くなりたいと
毎日毎日ケイドロをしている
次男坊。

さらに、いつの間にかブランコが
漕げるようになり
立ち漕ぎができるようになり
持久力もついて
体も上手く使えている
気がします。
 




私自身
体育や運動会が
大嫌いだったので
子どもたちが
『体育の授業』がなくても
体力や体幹がついて
楽しく活動している様子は
とても微笑ましいです♡