皆様、残暑お見舞い申し上げます



熊本での地震から
私の気持ちも、活動もblogも
止まっていましたが
6月にようやく動き出して今に至ります


被害も少なく、元気な町は
観光客の皆様をお待ちしています

被害が大きかった場所では
まだまだ避難所生活をされていて
見通しの立たない生活が続く方もおられます


熊本は
ひとりひとりのペースで
日常を取り戻そうと進んでいるところです



以下記憶の記録です(*•̀ᴗ•́*)و ̑̑


地震直後》
MAMA勉のママ達は
被災したママ友を置いて県外に避難することを心苦しく思っていたり

被災しあった者同士、
自分ばかり辛いとは言えないと思っていたり


いろんな感情に押しつぶされそうになりながら、余震から子供たちを守っていました


その姿に、底知れない力強さを感じました



わたしは と言うと

前震があったとき
翌日の体操服のゼッケンを縫うところで、長男坊に「早く寝て~」と
お願いしていた所でした


床から突き上げる突然の揺れ、


『ナマズのケンカだよね?
オス同士だね!
メスをめぐって戦ってるんだよね!?』

と言って、余震の最中、

『じゃあ、おやすみなさーい』

と寝た長男坊を横に
これからどうしようと
不安でいっぱいいっぱいになっていました。

深夜に実家の母と妹と合流して
人生で初めて車内泊をしました

ヘリコプターが飛び交い
救急車とパトカーのサイレンが鳴り止まない中

私はひたすら
ゼッケンを縫ってない事を心配してました╭( ๐_๐)╮
(裁縫苦手で時間がかかると分かっていたから(*◊*;))


あまり眠れなかった翌朝
明るくなっていろいろなモノが見えてきて言葉が出ませんでした


地元の神社。我が家はここから600m。

いつもと違う景色が広がっていて
学校が休みになったくらいの大事なんだと認識
コンビニで臼杵(大分)の消防隊員とすれ違ってさらにことの重大さを理解




写真は深夜頃のコンビニ(撮影)


田舎のおじいちゃんちが倒れてないか
見に行ったけど、
塀の瓦が道路に散乱してただけですんだから
お母さんと、汗だくになりながら
掃除してブルーシートを巻いて片付け


1日疲れたね~
今日はゆっくり寝ようと
実家のマンションで寝てた所で


本震


死ぬかと思いました\(●o○;)ノ



地震アラームより
揺れの方が早くて
パニックになって

長男坊は寝てるけど
揺れのせいか
無意識に布団にしがみついて離れなくて
UFOキャッチャーのごとく
背中のパジャマをつかんで玄関へ

嫌な音を鳴らしながらも
暗闇の中、不気味に光るスマホには
かなり助けられました


暗闇の揺れの中
いろんな部屋から
家族が玄関に集合


マンション7階から1番に降りた私は
ゆがんで開かなくなった
マンションの非常ドアを蹴破って
外に避難しました



前震からの1週間
実家族との車内泊も
余震の不安 < きつさ になり、
実家で寝るようになったものの


荷物を取りに行った
賃貸マンションの自宅はゆがみ
玄関が開かず
しばらくは、地震で空いてしまったベランダのドアから侵入したり
やっと玄関もチェンソーで開けてもらったり

なかなか帰れない
怖くて帰れない
心配で帰れない状態がつづいて…
なんだかんだ実家には3ヶ月お世話になりました


道のデコボコに加えて
橋の段差もひどくて
渡るのが怖くて
異常な程息苦しくなったり
(目をつぶったり、窓を開けたりしてました)


「熊本がんばれ!」と届くメッセージが
とてもとても重く
息苦しくなるのが
申し訳なくて

そして次第に
ボランティア活動など復興のために
あちこちで活動を始めるママ達が
とてもとても眩しくて
逞しくてかっこよくて


不安感と
焦燥感と
脱力感が
ただただ繰り返す私は
とってもザワザワモヤモヤ
無気力な日々を送っていました



近くのマンション

水前寺公園の鳥居

でも、あの時ほど
自分の支えが何なのか
明確になった体験はありません!


地震の直前、前震のときは、
発達支援コーチのひろちゃん先生と
メッセンジャーで
やり取りをしていたという
何ともラッキーなわたし♡


MAMA勉の修学旅行でお世話になった
コリニックの松岡さん

アンガーマネジメント以外でもたくさんお世話になってる池田福美先生

各方面から届く、
「大丈夫?」「何かあったら言ってね」
と届くメッセージや


MAMA勉で、
講師として来て下さる予定で
メッセンジャーで打ち合わせだけは
完了していた、まだお会い出来ずにいる
Terra 自然療法家 藤崎幸代先生から

レメディを始め、食事・炒り玄米・おやつ・ナプキンなど
安心して食べさせられる
部屋を埋め尽くす数の支援物資


自分も被災者で大変な中
MAKIさんが
「買い物に来てるけど、必要なものはある?」
と連絡をくれたり


子どもと県外の実家に避難して、
旦那さんは仕事で熊本戻って行くからと、
お米やお出汁や缶詰や子供が遊べるものやお水を大量に届けてくれた 友達


季節の変わり目に加えて、
不規則な生活になりがちな避難生活に
落ち着かない長男坊のために
永野さんが菌ちゃん元気っ子、本気だしを
届けてくださったり


こじまりえさんから、ホメオパシーが届いてビックリしたり!


困難から、一旦離れる勇気と
助けてもらう勇気に気づきました(๑•̀ᴗ- )✩


スマホが使えて
連絡が取り合えたことも
とってもとってもとってもラッキーでした



そして、
【整心力(せいしんりょく)】

いっつもルン♪の方を選ぼう!
ルン♪ルン♪♪してたい☆

って思ってる
楽しいこと大好きなわたし。


あの避難生活の中で
子どもと楽しんだ場面もありました

子どもたちが笑っていたから

MAKIさんのワンズちゃんに癒される子どもたち

ルン♪ってなりました。



自分をルン♪とさせてくれるものは何か
自分の価値観を見直す時間が
たくさんありました。



MAMA勉は~と言うと》
MAMA勉の予定は
会場が使えなくなったことで
ガタガタとずれ込み
予定していたものは
未だ開催に至ってません。


私同様、
MAMA勉に来てくれていた
ママ達の生活も気持ちも、
今までとは変わってしまっていること

考えれば考えるほど
なかなか進めずにいました。


そんなとき
NPO法人 健康づくり推進機構BTB
メンタルコーチ 平野いずみ先生に
ご案内を頂いていたことを思い出し
MAMA勉の再開にいたりました♡

心とカラダのつながり

心と体は繋がっている、
なりたい自分になるのは簡単だ!
と、自分自身を見つめ直しました(๑•ᴗ•๑)♡


今でこそ
感じられる大きさの余震は減ったものの
街並みや、家の中の亀裂が
地震の記憶を色濃くします



いつもの買い物の道

近くのスーパー
熊本城



ふとした時に
『今、ここで、地震が起こったら??』
と、考える時もありますよー


でも、
学校が始まり、幼稚園が始まり
MAMA勉を再開して
体を動かすことで、
未来志向で頭を使うことで、
あんなに不安でいっぱいで仕方なかった日々は戻ってきません。


わたしは、元気でやっています(o^∀^o)


今までblogを書けなかったのは
文章を書くより
しゃべる方が得意だから。
(占いで適職:作家と出ることがあるけど、何回もやり直しちゃう(笑))


そして、blogを再開出来たのは、
『いつもblogチェックしてますよー!
最近書かれてませんよね?
楽しみにしてます♪』
って言われたから♡

単純です♡わたし!
春木さんありがとー!!


家族はもちろん
今までに出会った友達
ママになって繋がったママ友
MAMA勉の先生方
MAMA勉の受講生

みんなに支えられてるなー♡と
しみじみ思いました!


私がわたしだから
出会えたみんな♡

ありがとう♡


これからも
わたし、みんなと
ルンルン♪
したいです!!!




あー
ゼッケンですが、

避難生活で3ヵ月実家に居まして

学校から持ってきてねと言われた前日に

母に縫い付けてもらいました( *^艸^)