「 『ありがとう』 の反対の言葉は何かわかりますか? 」


小学校の先生が、六年生の子供達の卒業式の日に

とても良い言葉をおっしゃってくださいました。

 

「『ありがとう』の反対の言葉は何か、わかりますか?」と、
子供達にたずねると、

 

ひとりは「『有難い』の反対だから『有難くない』じゃない?」と答え、

 

またひとりは「『うるさいな~』とか、何も感謝の言葉を言わないこと、かな」と答え、

 

また、いつも面白い事を言う子は「『どういたしまして』かな?」など様々な答えが出ました。


この問いへの答えは、子供達にはちょっと難しく、ちょっと考えただけでは、

すぐには答えられないと思いました。

 

先生も導き出したい正解が簡単に子供達から出てくるという前提ではなく、

問題提起をして、答えを聞いて「あー!」とハッとして欲しいのでしょう。


そこで、正解らしき答えが出てこないので、先生が答えを言いました。

 

「『有り難う』の反対の言葉は『当たり前』です。」

あー、なるほど、というような空気がその場に広がりました。


聞くと、そうだよな、と、わかりそうな事もなかなか自分からは気付けないものです。

その答えを知らないで、自分の考えだけではなかなか答えられない言葉だと思います。


先生は確かこのような感じに言葉を続けたと思います。
「『毎日ご飯を食べる事ができるのは当たり前』

『学校があって毎日友達と会えたり勉強したりすることができるのが当たり前』

『親がいて、洗濯やら身の回りのことをしてくれるのが当たり前』などなど・・・

 

こういった当たり前のように思っていることは当たり前ではありません。

ひとつひとつが有難い、感謝するべきことです。

 

君たちは、もうすぐ中学生になります。大人への一歩を歩み始めるにあたって、

こういったことに気付ける、自分のおかれている環境や周りのことを意識して

感謝の心を常に忘れないで生きていってください。」

 

一語一句覚えているわけではないので、だいだいのニュアンスなのですが、

このような言葉・お話しを聞いてとても有難く感じたことを覚えています。


小学六年生ともなると、だいぶ親の言うことは聞かなくなってきます。

その先生は子供達の中でも熱い先生で通っている先生です。

 

子供達には、その先生の話はちゃんと聞かないとまずい、

といった緊張感が常にあるのでその時もちゃんと話に耳を傾けていました。


学校の先生からこういった、ハッとさせられる、根本的な、でも今の日本では気付きそうで

なかなか気付けないそういった視点を教えてくださるということを嬉しく思いました。


それが日々の生活に浸透しているかどうか、はまた別ですが、

子供達が思春期の悩み事で壁にぶつかった時や社会に出た時など、

もしかしたらこの先生の言葉を思い出す時がきて、
「ああ、あの時の先生の言葉はこういった事だったんだ。」と

思い返したり実感するかもしれません。


今、子供達がこの言葉の意味を実感はできなくても、

節目節目に大人が、子供達の将来のために大事な布石を打ってあげるような感覚が

とても重要なのではと思います。

 

そういった意味でも、卒業式での、この印象的な言葉は、

保護者である大人の私にも響きましたし、多分子供達にも・・・

まだ今は原石の状態で、心のどこかで眠っているかもしれませんが、

将来磨かれて表に出てくる大切な宝石のもとになったのではないかしら、と思いました。