「加害者も辛い!」という現実に対峙



加害者の心情吐露をタブー視する日本人

犯罪に限らず、誰かと争いがあった時に「加害者だって辛いんだ」ということを言うと、

「被害者の気持ちを考えろ!」

「加害者に”辛い”なんて言う権利はない!」

「甘えるな!」

などと言って、加害者側の心情に触れることを、やたらタブー視する文化というか風潮があるように感じています。


被害者の気持ちに配意することは大切です。


ですが、加害者側の心情であったり、心情を吐露すること自体を、まるで出してはいけないもののように扱うのは違うように思います。


現実には加害者にも加害者なりの辛さがある


私は今回犯罪の加害者になりました。


今は釈放され、反省もしてますし、迷惑をかけたすべての人に、そして何より直接被害を受けた人に誠意を込めて謝罪したいと思っています。


自分なりの償いの方法を色々考え、自己研鑽にも手を付け始め、形的には更生の道を歩み初めています。


ですが、正直、辛いです。

辛すぎます。

何なんですか、この辛さは……。自分が犯罪加害者になってしまったという過去は一生消せません。


そして被害者の心に深刻な傷を負わせてしまったことも同様です。

妻とは事件をきっかけに離婚したため、普通に同世代の人間が幸せそうな家庭を築いている様子を見るだけで「死にたい」「こんな人生とっとと終わりにしたい」という衝動に駆られます。


失ったものが大きすぎて、もはや明日が見えない状態で、ないエネルギーを無理矢理振り絞って生きているような状態です。


死んだら人に迷惑かけるから死なないだけで、人に迷惑をかけずに人生を投げ出せるなら今すぐにでも投げ出したいとすら思っています。

 

あなたは何を思いましたか?

私は今、自分の辛い気持ちを吐露しました。


近くにいる友人が見れば、心配して力になろうとしてくれることは確信しています。


幸い僕にはそういう友達や仲間が残っています。ですが、何となく、うまく言葉にできないのですが、世間というものからこういった辛さを吐露することを許されていないように感じるのです。


第三者から見れば、


「被害者の方が辛いんだ」

「自業自得だ」

「自分の辛さばかり口にして甘えてる」

「自分勝手だ」


といった声もきっと上がってくるでしょう。

ですが、私が先に書いたような辛さを感じているという現実は間違いなく存在していますし、それは他の犯罪加害者についても同様でしょう(中には何とも思わない人もいるかもしれませんが)。


そして、同じような、いや、自分より辛い現実が、交通事故加害者、重大事件の加害者家族にもあることは想像に易いです。

 

わかってくれとは言いいませんが

加害者側の辛さをわかってくれとは言いません。


同じような経験をした人でなければきっとわからないものでしょうから。


ですが、加害者には加害者ならではの辛さがあるということを認めないと、それがまたさらなる悲劇を生むことに繋がるような気がしてならないのです。


中には自ら命を断つ人も出てくるかもしれませんし、やけになってより凶悪な犯罪に手を染めてしまう人も出てくるかもわかりません。


理論だって説明できなくてもどかしいのですが、僕らには僕らで辛さを吐露し、加害者は加害者で辛い思いをしているということを認めあえるような場や、それを許せるような文化や社会風土がなければ、更生もままならず負のスパイラルから抜け出せなくなってしまうのではないか、と懸念しているわけです。


ほんま私自身どうなるかわかりません。

 

さだまさしさんの『償い』は重いですね。考えさせられます。


償い 「主 被告人両名を懲役3年以上5年以下に処する。」