先日、英会話に行きたくないと言った娘。

実は、ピアノも習っており、そっちは行くと言う。

英会話はその後何度誘っても「行かない」「ピアノは行く」の一点張りだ。

そうだなーとは思っていたがここまで頑固とは...。

でも私からしてみればありがたい反応で、辞める決断に踏み込めた。


英会話は辞めた。ただ、家で「これ英語でなんて言うんやろな?」と言ったり英語のお絵本を読んでと持ってきたらするので、英語が嫌いなわけではなさそうだ。それが唯一の救いである。

嫌いになる前に辞める。これが大事だと思う。後付けなのだが。

これからは家で私ができる英語をしよう。私は昔英会話講師をしていた。ここにきて、過去の経歴が役に立つのだろうか。


ここでみなさん、大いにつっこんでいただこう。「なんで自分で教えずに教室通わせたん???」

うん、ありがとう。


果たして私はなぜ英会話講師をしていたにも関わらず自分で教えず教室へ通わせていたのかと言うと、理由は私の子供時代へ遡ろう。




私の母はとにかく外国人への憧れが強かった。外国人と結婚して!というぐらいだ。

それほど裕福ではなかったが、海外旅行も何度か連れてってもらった。

英語教育もすごく熱心にしてくれた。

幼少期は家で母が教えてくれたが、あまり好きになれなかった。でも私が英語を話すと嬉しそうな母を見て、頑張った。小学校低学年からは習い事として通わせてもらった。そこで感じた気持ちはまさに、「親がやって欲しそうだからやらないと」という気持ちだ。

母が通わせたのは外国人と私と姉との1対2英会話

だ。

楽しかったか?うん。外国人のノリは面白い。

ただ、間違えたら姉にとにかく馬鹿にされるから発言できない。全く良くない環境だった。馬鹿にされる環境エピソードについては、別ブログにて。


母はそんな私の気持ちは知らなかっただろう。学校での話をしないのも然り、習い事での話もしないのが普通だった。母が悪いわけではない。時代だ。いじめられた話などカッコ悪いから話せない。姉に馬鹿にされて嫌だった話などみっともないから話せない。


母は先生に頼んでいたことは「とにかく楽しく会話させて!文法や読み書きとかはいいので!」だった。

これが大の間違い。

中学英語まではこれでなんとかごまかしながらいけたが、高校からはさっぱりだった。

高校英語は文法と読み書きの力は必ず必要なのだ。

なんと言っても最大の問題が、私の脳はどっちかというと理系だ。数学IIBでは理系の人を差し置いて1位になったこともある。担任の先生には三者面談で成績票を見ながら「あなた国際科よね?」と言われた。(そう、これは自慢だ。)


そんな理系脳には「感覚でネイティブみたいに習得する」は通用しないのだ。(そもそも週1では無理だ)

母が与えた英語環境は全くとも言えないが、私には数歩の進歩にしかならなかった。(そもそも姉とともに学んだことにも問題点がある気がするが。)


母の期待に応えるのも、反抗期の私には全く無意味に感じ、もうここで英語は無理だと大学は英語とは関係のない学部へ進んだ。


だがしかし、社会人になって気づくと、やっぱり英語が好きだった。洋楽を訳したりしながら仕事の鬱憤を晴らすのも好きだった。

そこで土曜だけ英語の勉強をしに学校へ通った。もちろん自腹で自分で通い先も選んだ。(社会人も通うことができる専門学校だ。)


通いながら気付いたのはまさに、理系脳への勉強方法。文法=公式を覚えて、そこに単語=数字を当てはめる。この考えがピッタリハマった時、英語力が格段に伸びた。


その後お金を貯めて6ヶ月留学したのだが、この話はまた後ほど。



長くなりましたが、ということで、親の期待は伝わってしてしまうのだ。教える側となればなおのこと。

そして反抗期に至った時どうしても親の言うことと反対のことをしてしまう。何かで見たが、それが子どもの心理らしい。


何事も人のためにと思うより、自分がしたい!の方が成長できると身をもって体験した。


だが、このご時世、英語がないと可能性も広がらないのは事実。


社会人になり英語を勉強したい!となった時、基礎ができていたのは事実、母のおかげだろう。


その基礎だけでも固めたいと思う親心。ただ、私の期待を植え付けず、やりたくないならやらせない。

好き嫌いやりたいやりたくやいの気持ちの動きもも常に話しを聞ける大勢に。

と思う。



色んなことを言ったが、私の実体験が娘に当てはまるとも限らない。

日々娘には何が最善か。そこが味噌である。


ひとまず自分からやりたいと言ったピアノはまだ好きみたいで、意思つよつよの彼女を誇らしく思う。