立待岬から1キロ以上あるのかな?

雪が積もった緩い上り坂が続きます。

向かいながら心配だったのは、碧血碑から谷地頭駅までどうやって戻るか…ということ。

岬にあった地図だと、戻ってこなくても駅まで行かれる道がありますが、地図にかかれているのはハイキングルートとしてなので、今みたいなじき、まして雪が積もってるような状態で、果たして、通れるのか?ということ。

最初は、突っ切れなきゃ戻ってくればいいや…と思っていましたが、歩き始めてしばらくすると足跡がなくなり、人が歩いて通った形跡が無くなった上に、慣れない雪道に慣れないスノーブーツで歩きにくく、時間もかかり、この道をもし戻ってこなければならないとしたら、しんどい。

最初は緩い登り坂でしたが、途中から下りになり、戻る場合、また坂を登らなくちゃいけないのか…と思ったら、引き返したほうがいいんじゃないか…と歩きながら迷いました。

まだか、まだか…と思っているときって、実際よりも遠く、時間もかかっているように感じるんですよね。

天気が崩れる前に戻ってこれないんじゃないか…って、段々不安になってきましたが、だいぶ進んできているはずなので、ここまで来たら行ってしまえ!

ようやくここにたどり着いたときには、ホッとしましたね。

左手側に立て看板があり、簡単に説明がありました。

函館戦争には詳しくありませんが、ここって戦場だったの?

碑があるってことは、そうだったのかな?と勝手に思っていましたが、ここに建てられた理由は説明書によると、そうではなかったようです。

彼らは反乱軍でしたから、堂々と建てることはできませんでした。

新政府に見つからないようにしなければならなかったため、この場所になったようです。

 

※実は、この碑のそばに個人の石碑があり、誰?どういう関係があるの?と不思議に思ったのですが、後で調べたら、この人が埋葬が許可されていなかった旧幕府軍の戦死者の遺体を回収、埋葬し、この碑を建てた方だそうです。

 

こんな時期で、人もほかにおらず、とにかく静か。

厳粛な気持ちになります。

前日、函館奉行所を訪れ、函館戦争の資料などを見てきたあとだったし、この戦い(幕末の戦い)だけではなく、日本の歴史上あまたの戦が日本各地であり、その結果として今がある。

そんなことをあれこれ考えさせられてしまって、言葉にならない感情が込み上げてきました。

 

立待岬から来ると結構大変ですが、実はこのすぐ下は住宅地。

そちらから来る方が来やすいかもしれません。

これだけ雪が積もると、遠回りして雪道をくるより、雪かきされた住宅街を通ってくる方が楽ですよね~。

だから、岬からの道に足跡がなかったのか…。

八幡宮を目指してくると、そこから坂と階段を登ると、このような案内板がありました。

立待岬に行かず、碧血碑だけならこっちから来る方がラクかもしれません。