皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

最近毎週日曜日に更新していたこのブログですが

本日2月14日でとりあえず最後の更新とさせていただきます。

 

 

前回の時にも書きましたが

私が乳がんの告知を受けたのも11年前の2月14日月曜日でした。

 

 

この11年間、本当に色々な事がありました。

仕事を始めたり

編み物教室に通い始めたり

1人でデイキャンプに行ってみたり・・・

 

本当に自分は、こんなにアクティブな人間だったんだと

逆に知ることの出来た11年でもありました。

 

私の実父も見た目は、インドアに見えるのですが

凄くアクティブな人です。

深夜まで仕事をした後

数時間仮眠をした後、お友達数名を車に乗せて

2~3時間車の運転をした後山に登る。

そして降りた後も車をまた運転し帰ってくる。

そしてその次の日にはまた仕事をする。

 

私は、こんな風にアクティブにはできませんがガーン

自分は、ずっと父とは違ってインドアだと思っていました

でも、やっぱり血を受けついていたのか

私もアクティブでした。(父の様にはできませんが・・・)

父が好きで趣味でやっている畑仕事。

私は、今は仕事としてやっています。

母が好きだった編み物。

今は趣味ですが、いつかは作品の販売をしてみたいと思っています。

 

その為に今は、勉強&上手くなるための練習中です。

 

今もネガティブやインドアなところもありますが、

病気になって、本来の私に出会えたような気もします。

 

まだまだ勇気を振り絞れず、もじもじしていて出来ていないこともありますが

(一人キャンプとか、編み物の作品を作ってみたり、売ってみたり等)

それらもあともう一歩踏み出せばできそうです。

 

 

 

 

でもその前に・・・

 

 

先日、お義父さんに白血病(正確には、白血病になりかけ)が見つかりました。

このまま治療をしなければ、余命1年と言われたそうです。

お義父さんは、心臓の病気もしており(心筋梗塞)、そちらの方もあまり思わしくないようです。

その為なのかわかりませんが骨髄の移植しか治療の方法はないようです。

お義父さんは、75歳ですがまだ生きていたいと先生にお伝えし、治療をすることを選択したようです。

 

今は、骨髄の移植って近親者からするのは、最後の手段のようで

まずは適合するドナーがいるかどうか探すそうです。

その間は、心臓の治療をしてある程度移植に耐えられる状況を作りずつ

白血病の進行が少しでも遅れるような治療もするようです。

 

今後どのような治療になり、どのようになってしまうのかはわかりません。

でも、私はお義父さんが「生きたい」と思い治療することを選択したことに

私たちにできる限りの応援はしてあげたいと思っています。

お義母さんも私と同じがんが2カ所出来た経験者で、2回手術しています。

お義母さんは、手術のみで抗がん剤や放射線治療などはしたことがありません。

私は、白血病の事は詳しくありませんが私もがん患者です。

そしてオットは、2度もがん患者を支えてくれた人です。

自分の母親も含めたら4度かな?

オットは、義妹に電話で聴いた後ちょっとうろたえている感じもありましたが

電話では義妹に「何かあったら一人で抱え込まず、すぐに電話して」と言っていました。

がん患者本人もそうですが、家族のサポートも大切なことだと経験して思いました。

 

ちなみにちょとうろたえていたオットのほうは

私が持ちこたえさせておきました(笑)

でも私が子宮頸がんになった時に病院に付き添ったときに比べれば

ちょっとのうろたえで済んでいるところは、

オットも成長しているのかな?と思っています。

 

 

私も実母が認知症になりました。

まだかろうじて私や子供たちの事などは覚えているようです。

でも、私は自分の祖母が認知症になっているところも見ていましたし

お見舞いに行っていた母が、自分の事をちがう兄弟とまちがえていたり

私を見て母だと言っていたりしていた日

病院の帰りに母が落ち込んできた姿もそばで見ていました。

(調子のいい時は、母の事も覚えていたり、母の事をちゃんと名前で呼んでいることもありました)

だから私は、母が認知症になりかけている・・・

と思ったときから覚悟をしています。

 

 

私の事や子供たちの事を忘れてしまう時がいつか来てしまうことを。

 

 

多分覚悟していてもその時が来たら私もあの時の母と同じように落ち込んでしまうと思います。

 

でも現実を受け止めず覚悟していないよりもしていた方が

そうなってしまったときのショックを少しでも和らげられると思っています。

 

 

私が病気になって11年もたってしまった間に

今度は、私の周りの人の変化が色々と出てきたのだと改めて思いました。

 

11年、長いようであっという間ですね。

 

11年前、私は10年後も笑顔に元気に生きていたい!!

これだけを目標に頑張ってきました。

10年目を目前になった時

この目標が達成が見えました。

そして達成できました。

 

これは、私だけではなく

私のために最善を尽くしてくれた医療従事者の方々

周りの家族の支え

そして私の周りで手を助けてくれた友達

色々な人の助けがあったからこそ

今私がこのように普通に生活ができるまでになったのだと思っています。

 

 

今度は、私が家族を支える番が来たのだと思っています。

 

そして、新たな目標もできました。

 

 

新たな10年後の目標も

色んな人に伝えながら

これからも頑張っていきたいと思っています。

 

 

 

数年は、このブログを残しておこうかと思っています。

 

 

 

もしかすると何か変化があった時に

ひょこっと更新しているかもしれませんが・・・

 

 

とりあえずは、私の乳がんと子宮頸がんの闘病を記録したブログはこれで終了です。

 

 

長い間、私のブログを読んでくださった方々

 

 

本当にありがとうございました。

 

 

 

mocoは、これからも元気に頑張っていきます!!

 

 

またどこかで

今度は、別のブログでお会いするかもしれませんが

今のところブログはする予定はないです。

 

 

では、またいつか。

 

 

 

 

 

 

皆様、いかがお過ごしでしょうか。


先週は、何かにとりつかれたかの様に左手ばかり負傷していた日々でした。


仕事でもミスが多いし、厄年ではないけれど、厄祓いした方がいいかしら❓





さてさて、このブログも残り2回となりました。


今日は、前回予告した通り今後について話したいと思います。




乳がんになって思ったことは


「人生は、一度きり

死んだ時に(死ぬ間際に)

私の人生楽しかった‼️

と、思える様な事をしたい」


これは、病気になって

人は、いつ死ぬのかわからない。

若くてもガンになる事もある。

もっと重い病気になってしまう人もいる。


私は、幸いにも2か所もガンになったけれど、こうやって治療をしながらでも普通に生活ができる様になっている。


なのにガンになる前の様に

悪いところばかり見て

自分は、不幸だと思ってばかりいて

楽しいと思える事が少なく生きるよりも

やってみたかった事にチャレンジして


失敗しても


思っていたことと違かったとしても


自分がやってみたかった事にチャレンジする事は、

自分の為になってるし

たとえ違かったとしても

それはそれで満足出来ています。

(今のところ)


お仕事にしてもそうです。


結婚して病気になってから始めたお仕事


これも何度か転職していますが


一つを除いては、すべてやってみてよかったと思っています。


一つは、知り合いの紹介で、ちょっと引っかかる所もあったけれど、主人の勧めもあり始めてみましたが、結果、嫌なことばかりあり、辞めざるおえなくなりました。


でも他の仕事は、自分でやってみたいと思い、やってみて

理想と違う事もありました。


子供が具合悪く学校休んでる時でも、子供を連れて仕事に行かなくては行けない事もありました。


でもどれもやってみたいと思ってえいっやって入った仕事でした。


辛い時ももちろんありましたが、どれも後悔してません。

むしろ今思えば、楽しかったです。

今の状況下で無ければ、またやってみたいと思う事も正直あります。


今の仕事の農業(冬は工場)もやってみたいと思っていた仕事です。

力仕事だし(あんまり重いもの持ったらダメと言われていますが…)ミスもまだまだ多いし…皆さんにご迷惑をかけてしまう事ばかりですが、この仕事も大好きです。


身体がしんどい時は、休みたいと思いますが、行って仕事をすると充実感を得て帰ることの方が多いです。


工場も私には、合っているみたいで、コツコツとする仕事も好きです。

(もうすぐ3ヶ月経ちますが、相変わらず1日1ミスしまくりです魂が抜ける


この仕事も続けられる間は、頑張ろうと思っています。


結婚する時、専業主婦になりたかった私。

オットも妻は、家に居て支えてほしいタイプです。

今もそれは変わりないです。

私も出来れば専業主婦に戻りたいと思います。

でも、働いていると色々な人と繋がりが持てるのもいいし、お金も稼がないと…ネガティブ

(これ1番大事びっくりマーク


ガンにならなければ、ずっと専業主婦だったかもしれません。

でも、病院代や住宅ローンなどでお金を私も稼がないとやっていけなくなり、最初は仕方なく始めた仕事。

でも今は、この仕事も私にとっては、生きている証の一つになっています。


そして編み物。


これも死ぬ前にやってみたかった事の一つでした。

独学の母に昔少しだけ教わった程度しか編めなかった私。

あみぐるみの教室から始まり、他の作品も作ってみたかったのと資格を取ってみたくなり、編み物教室への変更。

途中教室を変えましたが、今の所に通い始めて今年で6年目。

ようやく棒針編みの基礎の終わりが見えてきました笑い泣き


課題が終わったら、しばらくは好きなものを編ませてもらおうかと思っています。

その間に靴下や帽子、編み込みミトンなどの作品を作ったものを販売のチャレンジもしてみようかとも思っています。

まだ自分の作品に自信があるわけではありません。

売れるかどうかもわかりません。

需要があるかもわかりません。

でもやってみたかったのです。

やらずに後悔するのではなく、やって後悔したいと思っています。

販売は、いつになるかわかりません。

でも1〜2年の間には、チャレンジしたいです。



そしてかなり先の夢



以前からちょこちょこ言っていましたが、

オットと2人で北海道をゆっくり周りたい&日本一周したいです。

出来ればキャンピングカーで行きたい所ですが…

今のハイエースでも車中泊は出来るので、ハイエースでもガンガン行きたいです‼️


キャンプにもそのうちソロでも行ってみたいし、月3回とか行かれる様になりたい‼️



でも、私のやってみたい事すべて

健康で身体が動けるからこそ出来ることなんですよね。


だからまずは、この先もずっと健康に気をつけて、今以上に健康になる事を目指したいと思っています。


各方面の主治医からは、ダイエットをものすごーーーーく勧められていますがネガティブ


健康のためにもそろそろ重い腰を上げなければなぁと。


最近疲れやすいし。



頑張ります魂が抜ける




今日は、長々と話してしまいました。



最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。



次回は、最後の更新になります。


本来は日曜日に更新ですが、次回は14日の月曜日に更新します。



ちょうど11年前に乳がんの告知を受けた2月14日も月曜日でした。


狙ったわけではないですが、なんだか新たなスタートを切るのにとても運命を感じてしまいました。



今回も最後まで読んでくださいまして、ありがとうございました。



それでは、また。

皆様いかがお過ごしでしょうか。


ブログ更新も残すところ今回を含めて3回になりました。



前回副作用やお金問題について話したので、今回何をお伝えしようかと考えていました。



そんな中、先週副作用の一つ肝臓で通っている消火器内科へ行くため病院へ行きました。

いつもは、乳腺の日と一緒にしてもらい乳腺を受診してから行っていましたが、今回は内科のみです。


糖尿病もあまり変わっていなかったので、こちらもあまり変わっていないだろうと期待せずに行きました。

案の定、変わり映えなし。

強いて言えば、前回よりかは下がっていたかなぁぐらい。

また3ヶ月後に行くことになりました。



診察も終わり、お会計へ…と歩いていたら、病院の診療科と先生の名前が書いてあるところを何気なく見たら…




乳腺の主治医の名前がない‼️




どこを探してもなかったのです。


3ヶ月前に診察してもらった時には、何も言っていなかったのに…


また今年の診察の時にも診て頂けると思っていただけに残念でした。


約10年以上お世話になった先生。


先生のおかげで今私は、元気に過ごせています。


大きな腫瘍でしたが、先生が綺麗に取ってくださったおかげで、胸は元の半分ぐらいの大きさになりましたが、残っている胸を見なければもともとそのぐらいの大きさの胸だと思ったしまうぐらいに綺麗な形に取ってくださり、今も鏡で見ては、先生に感謝していました。



そのおかげで、今も子供達と一緒に温泉にも入りに行っています。

(左右の大きさや○首の位置は違いますが、ぱっと見わからないと思います。まぁお風呂で人の胸などをマジマジと見る人も少ないでしょうし…ニヤリ


本当に先生には、感謝しかありませんでした。

毎回診察で触診してもらって、先生に

「大丈夫ですね」

と、言ってもらえたら、それだけで安心していました。


乳腺でも他の先生方が変わっていく中、主治医はずっといたので、心のどこかでこれからもずっと見てくださると思っていたのかもしれません。


でも大きい病院ですから、変わってしまうのも仕方がないことなのかもしれません。



最後に感謝を直接伝えられなかったのは、とても残念ですが…


この場を借りて、ありがとうございましたとお伝えしたいです。


本当に約11年間ありがとうございました。



これからも先生に助けてくださった命を大切に、やってみたかったことなどにチャレンジしながら楽しく過ごしていきたいと思っています。









来週は、今後の生活について話そうかと思います。


子宮頚がんが完治し、乳がんの治療もひと段落した今、どのように考えているのか話せたらと思っています。


今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


皆さまいかがお過ごしでしょうか。


ブログ終了まであと4回の投稿となりました。


今回は、がんになって変わったこと、苦労したこと、良かったことを書こうかと思います。



●苦労した事


これは、お金の面が1番でした。


治療なども苦労した事たくさんあり、その事は随時こちらのブログにも記載してきましたので、今回はお金について今まで話さなかった事も含めて書きたいと思います。





幸い、28歳の時にがん保険に入っていたのでそれで支給してもらったお金ももちろん助かりましたが、その当時は、通販型のがん保険が今みたいに内容が手厚いものではなく、一時金、入院、手術ぐらいしか支給されないものでした。


私ががんになった後に追加で先進医療や通院特約などもプラスできるようになりましたが、私はがんになってしまったのでそれらの追加プランは追加する事が出来ず今に至っています。

もちろん主人のは、つけました。


でも入っていなかったよりかは、入っていたおかげで続けて子宮頚がんになっても

何とかなったのもあると思います。

(子宮頚がんは、乳がんから2年以上経たずに発症したので、一時金は支給されませんでした)


それでも子供3人を抱えて闘病するにはお金が足らず、実母(両親)から支援してもらったりもしました。



あとは、精神的に辛い事が多々あった事。

「がん」という事で周りに気を使わせてしまった事もありますが、がんを理由にイジメや仕事を辞めるように遠回しでも言われた事もありました。



がんになり、正直、精神状態は余り良く無い事が多々あります。

今でも急に落ち込んでしまったり、味覚障害を起こしてしまったり、無意識に食べ物を食べていたり、買い物でストレス発散したり…などうつ病のような症状が出る事もあります。

特にイジメに遭っていた時は、それらの症状が強く出てしまい、特に買い物に関しては、必要のないものまでは購入していませんでしたが、子供にも夫にも私にも自分の自己満足を満たす為に色々と高いものや子供達に催促されたものを後先あまり考えずに購入したり、了承していたりしていました。


あと少しでプラグも最後になるからいいますが、そのせいで借金も作ってしまいました。


今、私が働きに出ているのはその返済の為でもあります。(住宅ローンもありますが…)


金額は、言いませんが結構な額です。


これではダメだと思い、考えや生活習慣などを変え始めたのは、昨年からです。


意識改革があったのは、コロナがキッカケにもなったところはありますが、ストレスになるような職場は辞めて、子供の為にも自分のためにも自由に休める職場を探して、今の農業にたどり着きました。

肉体的には大変でしたが、気分的には楽でした。


ストレスが少なくなったら、無駄な買い物、自己満足を満たす買い物もかなり減りました。

毎日のように何かしら購入していた買い物も今では2日に1回のペース(ノー買い物デーが15日ぐらい)までに減りました。


がんになると多かれ少なかれ「不安」というストレスを抱えるようになると思います。

それにプラス生活面でのストレスもかかると…何らかの形で出てきてしまうのは、当たり前だと思います。

でも、それを私は上手く回避する事が出来なく、その吐口が「お金を使うこと」でした。

そして家族にもがんになったことで「迷惑をかけてしまった」と言う、後ろめたさもあり、家族の要求することに「出来ない」と言えなかった自分の弱さもあったと思います。

そして今、金銭面的に辛い状況になってしまいました。


もっと早くに気がつかれていたら…と後悔していますが、後悔ばかりしていてもしょうがないので、今出来ることで少しずつ私自身変わらなくてはと頑張る事にしました。

だからあえて辛い農業と言う仕事にしたのもあるのかもしれません。


私の周りにも保険の一時金で多額な金額をもらったのをキッカケに金銭感覚が麻痺し、無駄遣いが抜け出せなくなってしまったと言う人もいました。

がんがキッカケでうつ病になってしまい、そこから買い物依存症になってしまった方もいました。


たまたま私の周りがそうだっただけかもしれませんが、皆さんは多分大丈夫かもしれませんが、私のようにならないように気をつけてくださいね。



でも、がんになって悪かったことばかりでもありませんでした。


長くなりそうなので、今回は苦労した事だけにします。



がんになったせいでお金の感覚が麻痺したわけでは無いかもしれません。

それを言い訳にしたいわけではありません。

でも、余り不安を与えたくないと思い、不の部分は隠してきましたが、最後にキチンと「不」の部分も書いた方がいいと思い書きました。


治療ももちろん多額なお金がかかりますが、それ以外にもお金が絡んでくる事があるかもしれないと言う事を知ってもらって、ご家族や周りの方が少しでもその方の異変に気づくキッカケになってもらえればと思い、今回この事実を書こうと思いました。



皆さんいかがお過ごしでしょうか。


今日は、前回にも話したホルモン療法が終わってからのその後について語りたいと思います。




昨年10月に10年間のホルモン療法が終了し、3ヶ月が経ちました。


副作用として現れていた、更年期障害のこと、糖尿病のこと、肝臓の数値について詳しく記載したいと思います。


ただ肝臓については、今月末に病院に行く予定なので、肝臓だけは後日話したいと思います。




まず、更年期の症状から。



私の場合、子宮と卵巣を取ってしまったので、こちらについては薬を飲まなくなって変わったことは、ありませんでした。


今も更年期の症状はあります。


ただ、薬を飲み終わったら症状が軽くなった。

と、言うこともなかったので、薬を飲み終わっての変化は、残念ながら今のところは無いです。



次に糖尿病のこと



糖尿病は、服用が終了してから2回ほど病院に通いましたが、数値は悪いままです。

こちらも実母が糖尿病なので、遺伝的なものが元々あったのだと思います。


ただ、もともと血筋で糖尿病になりやすかった為、ホルモン療法を始めたのをキッカケに、年齢よりも早く発症し、そして数値も上がりやすくなってしまっていたのだと思います。


母と半年間同居していた時に、一緒に糖尿病の治療を頑張っていましたが、私よりもお菓子やジュースを隠れて飲んでいた母の方が、私よりも数値が良くなっていっていたので、何度も心が折れそうになってしまうこともありました。


今もちょっとでも気を緩めてしまうと、ヘモグロビンA1cが急激に8%を超えてしまうので、お酒なども気をつけるようにしています。

(私は、お酒はカクテルやシードルなどの甘いお酒が好きなので、甘いお酒は月に3杯まで、それ以外は、レモンサワー(もちろんシロップは0カロリーもしくは無し)で我慢しています。)


薬を辞めたら元に戻るかも。

と、淡い期待もしていましたが、これは完全にホルモン療法中に糖尿病になってしまったと諦めています。

今後は、糖尿病とどうやって上手く付き合っていこうかと、ちょっと勉強して考えていこうかと思っています。



どちらもホルモン療法がキッカケに発症してしまいましたが、決してホルモン療法のせいだけでは無いと私は、前向きに思っています。


幸いな事に、どちらの症状も「私自身」が気をつけて今後生活をすれば、酷くなることはほとんどないと思っているからです。

更年期も「私は更年期なんだ」と思って、対処法や無理をしない生活を心がけていたら、そんなに辛いと思わなくなりました。

最初の1〜2年は、30代で更年期という事、生理がなくなってしまった事を受け止めるのも苦労しましたが、受け止めてからは、気分も少し楽になりました。


イライラする事も以前に比べて少なくなったようにも思います。

でもまだたまに急にイライラして、自分でもコントロールできなくなってしまう事もありますが…ガーン



今は、ホルモン療法から始まったこの症状も「この症状があるということは、まだ薬がわたしの身体に残っているのかも❓」と、ポジティブに思う事にしました。


薬を服用する事が終了して1番不安だったことは、「再発」です。


私は、幸い今のところ再発はありません。


ホルモン療法のお薬が効いていたからかもしれないし、違うかもしれないしそれは誰にもわかりません。


でもホルモン療法のお陰で再発になっていないと思えた10年間も、私の心の支えになりました。


その支えの一つがなくなってしまった今、この3つの副作用が残っている=薬が効いている。では無いとわかってはいますが、そう思う事でこれから先の生活も不安を少しでも取り除いて生きていくための材料の一つに変えてしまえればいいのかな❓と思いそう思う事にしました。



前回とあまり変わらない内容でしたが、少しでも皆様のお役に立てればと思い、詳しく記載しました。


その為、長文になってしまいましたが…



それでは、また来週。