1.17 29年目の記憶 | ひよっこスイマー徒然日記

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1.17 あの日から29年


神戸で生まれ育った私にとって

心と体に深く刻まれた阪神淡路大震災の記憶

今でも昨日のことのように覚えています

あの日に命の灯火が消えた大好きな後輩の笑顔を思い出します


その後も日本で、また世界で

何度となくおそう地震や豪雨などの自然災害に

いつも胸が締め付けられる思いです


今この時も

能登地方で被災された方々が

不安な思いを抱えて過ごされていると思うと

今自分にできることはいったい何だろう?と考えます

考えますが答えが見つかりません


でも29年前に絶望を感じた神戸や阪神間の町も

悲しみと共に

多くの人たちの優しさと助けと知恵をかりて 

復興へと向かいました

亡くなった人たちの分も幸せに生きよう

と懸命に頑張って今があることに感謝な気持ちでいっぱいです


能登の地震で学校が避難所になったり

使えない状況にあることから

親元を離れて学校生活を送る決心をして旅立つ子どもの姿が映し出され

それを支えるために寝食を共にすると決めて一緒に行く教師がいる事に思いを馳せました


29年前高校生だった私の学校は

交通機関が寸断されて登校できない人が多く

授業はできませんでした

そんな中でも学校に安全にたどり着くことができる生徒は

午前中の2時間程度顔を合わせて一緒に過ごすために学校に登校していました

3学期はほとんどがそんな感じで過ぎましたが

先輩たちの卒業式はちゃんと行われました

避難所から卒業式に来た先輩もいました

送辞を読むはずだった生徒会長だった友達は

近隣の小学校に避難していて登校すらできなくて

代わりに私が送辞を読みました

自分の卒業式よりも深く深く心に刻まれた時間でした


そんな経験があるからわかります 


こんな時だからこそ

学校という存在が子どもの心を救ってくれる

友達と過ごす他愛のない時間が辛さを軽くしてくれる

とても大切な場なのです


でも親元から離れて集団避難をすることとは全く違うと思うのです


家族は怖さや辛さを和らげてくれる存在で

離れて暮らすのは別の不安もでてきます


先生たちにも家族があり被災者でもあります

そんな中でも子どもたちのためにと行動してくださる先生たちに

全てを任せるのではなく

多方面からのサポートがあって欲しいと思います


と思うのは教育学を学んだからなのかな


1.17には

必ずどこかで阪神淡路大震災にふれた話をしてきましたが

今年ばかりは…

能登への思いが溢れてしまいます


出来ることをやれる時にするしかできませんが


悲しみの中で生まれたこの優しい歌が

神戸の第二の市歌として歌い継がれる歌のふるさとバージョン

皆さんの心に届きますように


「しあわせ運べるように」ふるさとバージョン


地震にも 負けない 強い心をもって
亡くなった方々のぶんも 毎日を 大切に 生きてゆこう
傷ついた「ふるさと」を もとの姿にもどそう
支えあう心と 明日への 希望を胸に
響きわたれ ぼくたちの歌
生まれ変わる 「ふるさと」のまちに
届けたい わたしたちの歌 しあわせ 運べるように

地震にも 負けない 強い絆をつくり
亡くなった方々のぶんも 毎日を 大切に 生きてゆこう
傷ついた「ふるさと」を もとの姿にもどそう
やさしい春の光のような 未来を夢み
響きわたれ ぼくたちの歌
生まれ変わる 「ふるさと」のまちに
届けたい わたしたちの歌 しあわせ 運べるように

響きわたれ ぼくたちの歌
生まれ変わる 「ふるさと」のまちに
届けたい わたしたちの歌 しあわせ 運べるように

届けたい わたしたちの歌 しあわせ 運べる