ちょっと変わったお話になってしまうかもしれません。

気分を悪くしてしまったらごめんなさいえーん

 

苦手な方はスルーをお願いしますね

 

 

 

 

人生に苦しみはつきものとすら思えてしまうのですが・・・

それでも、こうして元気に(?)生きていられることを考えるととても不思議です。

 

「人事を尽くして天命を待つ」 

という言葉がありますが私としては

 

「天命に安んじて人事を尽くす」

という言葉のほうがしっくりきます

 

 

人事を尽くす という言葉ですが

これまでの人生私一人の力で生きてきた、もしくは何かが出来たことは1度も無いと感じています。

 

周りの人たちや他にも見えない何かに助けられてきた感覚がとても強く、それでも実力だとも思いたい気持ちもあって

矛盾を抱えていました。

 

でも、夫の言葉で考えが変わりました。

「今、幸せならきっとそれは亡くなったおじいちゃんが見守ってくれたり導いてくれてるんじゃないかな。」と。

 

私は、個人的にですが神様からの愛を信じています。

仏教や神道などは正直なところ知識はあまりありません。

けれど過去に亡くなった人からの愛情も存在するかもしれないと受け止めています。

 

現実的な話をしてみても

いろんな仕事があるから、いろんな人が居るから、いろんな歴史があるから、現代の暮らしがありますものね。

全員が世界を創っているし

それぞれに役割があると思っています

 

そこに見えない力・不思議な力も影響していて

人生は周りの存在ありき

という風に感じるようになりました。

 

そう考えると私という人間・人格は不思議なもので、私の所有物ではないのでは、とすら思えてきます。

 

「私自身にも価値があり 私という存在は周りを支えている」

そう仮定してみると 私自身へもなんだかこう・・・感謝というか、私にも存在価値があると思いたくなりました。

 

何だか、おかしなことを言ってしまっているかもですね笑い泣き

 

 

過去、いろんな事で傷ついた人は自分の中で悲しみを抱えていて、しんどい思いをする時があると感じます。

それはきっと大なり小なり皆が抱える気持ちなのかもしれませんね。

 

 

自分と

その他の人と

 

そこにハッキリとした区別はなくて

想像するよりもさらに大きな要素が自分へ影響を与えている

自分という人間はいろんな人や見えない力の副産物だと思うと

 

物事って自分だけの結果ではなくて

でもこれからも周りも含めてきっと何かが力になってくれるだろうから

周りを大事にして 感謝して 

生きていけばいいんだよね

 

出来ないことは誰かが出来る世の中だから

私は私が出来ることをすると良いのかな

なんて思い始めました。

 

肩の力がフッと軽くなればいいな~