文系大学出て

元常務秘書が何も考えずに

旅するミュージカル劇団に

入ってしまったあの頃…の話。



その劇団には
「季刊誌」という年4回出す
ファンクラブ会報みたいな冊子があり


劇団上層部が
お付き合いしている
批評家の先生方が批評も書いていた。


年がら年中旅して東京にいない
公演班にいて

下っ端でトラック荷台に乗り
日々荷下ろし、積み込み、移動、
生活しているワタシは

東京のエライ先生方と会う機会も無いし
誰がどうエライのかも全くさっぱり
よくわからなかったけれど

自分達が今日もまたこれから
幕を開ける作品についての批評は
気にならないはずはない。


それは

長野県南牧村
だった。

給湯室がない体育館だったので

シンシンと寒いトイレ横の洗面所で
ワタシは頂き物のリンゴを
10個か20個だかむいて、

塩水をくぐらせたリンゴを楽屋に
(と言っても体育館横の建物の一室)
運んで行ったら

作曲家のテラさんが
嬉しそうに

「おい笑、
そーこのことが
書いてあるぞ」

とゲラゲラ笑いながら季刊誌を
見せてくれた。

(テラさんはどんな
シリアスな場面でもゲラゲラ笑うスゴイ人で、
それだけは見習いたいと今でも思う)


そこには

「PTAのシーンでの
多岐川装子が
(実際はワタシの旧姓表記だったが)
浮いていた

と名指しされていた。


目の前が一瞬…
真っ暗とはこのこと。

なぜこんな下っ端の
ミジンコ以下の存在のアタシが

必死で脇役で
わーわー出てるだけなのに

わざわざ批評欄に
書かれなきゃいけないのだ

他にもっと出番が多い
メインキャストの人が
いるだろうに…
なぜアタシが…?!




演出家はいつも

「セリフや歌は
お前の身体が言いたくて
言いたくてたまらなく
なるから身体全体から
あふれてくるものなんだ!」

と言っていた。


「演出家の演出に
納得していないやらされてる役者」

なんかお客さんは見たくないはず。


ワタシは
作演出家の演出意図も意味も
実はよくわからないのに

毎回作業員モードから
自分を奮い立たせて

「PTA役員会議で走りたくなるワタシ」

という気持ちに
開演時間までに自分に暗示をかけ

迷いなく最大級ハイテンション全力で
黄緑色スリッパで走れるように
していた。

まるで
「キヨミズの舞台をよじ登るような」
感じだった。


しかし、批評家の先生から見たら

一生懸命やればやるほど
ワタシのやってることは
まるで作品全体の
足を引っ張っているようじゃないか……!!



…トイレへ行きしばらく泣いた。


……

バラシ積み込みの時


南牧村の美しく冷たい夜空を見て
また悔しくて泣いた。

こんな空の下で毎日毎日
楽しみにしてくれている
村人や町民を楽しませようと


滑らないスリッパまで見つけて
必死に走ってるのに。


悔しくて悔しくて泣きながら
先輩方の着替えが入った
「作業着バッグ」を
トラックに積み込み

扉を閉め荷台下に
竹竿を格納して
万力結びをした。






つづく。





メイク変えまで時間がないから


ずっとうつむいて

手ぬぐいで顔隠したままやった

一瞬しか出番無いおばあちゃん役。