先日PCでAmebaのホームを開いたら、フォローフィールドなどの写真が表示されない状態でした
スマホのアプリは正常に表示されました
記事はPCでちゃんとアップできました
翌朝も同じ状態で
どうしたらええのん?と思って一旦閉じて、再び開くと直っていました
良かった良かったと言う話しでした~
デイサービス施設の見学を始めた当時は、何が施設の質を決めているのか判らなかったし、何を質問したら良いかも判りませんでした
ケアマネさんが食事の時の席の配置やレクリエーションの種類、その施設の売りポイントを質問するのを横で聞いているだけでした
そんな状態で決めたデイの施設でしたが、やはり肌で感じる雰囲気は大切だったと思います
母は入浴希望だったので、通所の仕度が息子の小学校入学の時くらい大変でした~
娘としての見栄ですが、着替えの下着や通所の服装は新しい物を着せたいと思い、問屋に走りました
ここからはデイサービスに通い始める6年程前の話になります
母が認知症ではないか?と思ったきっかけがありました
この頃はまだ家事全般にノータッチでしたから、小さな違和感を「歳だから」と深刻には考えていなかった
少しづつ台所が汚れていき、たくさん持っている服の中から同じものばかり着る頻度が上がった・・・
そんなある時、振り返れば親子3人最後の旅行になった東京二泊三日の旅
父がOG会にゲストとして呼ばれた折です
両親の金婚式に当たる年だったので、母も招待されたのです
乗り気でない母(その時すでに気分のムラがありました)をコントロールするためにわたしも付いて行く事にしました
夫はまだ現役でしたし、息子も一人前に仕事をしていましたから何の心配も無く家を空けました
飛行機が大好きな父はひとりで先発
わたしと母は新幹線で東京へ向かい、ANAホテルで合流の予定
迎えに行くと母はゆったりしたパンツの上に地味なカットソーを着て待っていました
普段よりはマシな格好でしたが、もう少し華やかなものを着てほしいと思いました
他にもいっぱいあるのに・・・
そして薄い色のパンツにはシミが点々とついてる
ここでいろいろ言うと「行かない!」と言い出しそうだったので、とりあえず出発しました
パンツのシミは眼を凝らさないと見えないから諦めるとして、向こうに着いたら洒落た長めの上着でも買えば良い(父のお金で)と軽く考えました
新幹線の車中の事は全然覚えていませんが、お弁当を食べたり楽しく過ごしたと思います
東京駅からOG会が行われるANAホテルに向かいました
最寄の溜池山王はほんとうに静かな駅で、ぱっと見ホテルの周りにも母の服を売ってるような店は無い・・・
間もなく起こる胸部大動脈解離の前触れだったのか?疲れやすい母は駅からホテルまでの長い地下道でヘトヘトになっていました
新しい服を手に入れて着替えさせるのは諦めて、少しでもシミが目立たないように手入れをしました
乾きやすいポリエステル生地で良かった
父は一張羅のスーツでバリッとしていましたよ
会場入り口まで送り、わたしも顔見知りの何人かとお話しさせていただき、後を託しました
何人かの元寮生が夕食会を用意してくれていたので、それまでの時間は一人で渋谷へ出掛けました
翌日は母を誘いましたが疲れて外に出たがらなかったので、ひとりで新宿へ出たのですが
迷いに迷いました(笑)
父は会に出られなかった寮生と個別に会ったりしてたみたい
2日目の夜は最初の勤務地だった横浜のご近所さんで、家族ぐるみのお付き合いをしていた方が一家でホテルを訪ねてくださいました
当時おむつをしていたお嬢ちゃんが、りっぱな二児の母になってカウンセラーのお仕事をされています
その夜は楽しくお話しをして、翌日の帰宅まで滞りなく二泊三日の旅は終了
何度か見ていただいているこの写真はその時のものです
晴れやかなお席に招待されて行く東京旅行なのに・・・
まさかお洒落な母が、普段着に毛の生えたような格好で良いと思うなんて考えもしなかった
事前に洋服をチェックしなかった事を悔み
これからはもう少し両親の生活に係わらなければいけないと思いました
そう思いながら実際は自分の事で精一杯で、両親に対する気配りはゼロに等しかった
母が大病をして、父も万能ではない事を少しづつ実感して、やっと深く係わるようになりました
その他にも父方の法事に行ったおり、会食の席で異常にテンション高く喋る母の様子に少しひいた事もありました
女学校時代のお友達と待ち合わせ場所を間違え、間に入ったわたしが冷や汗かきかき電話でやり取りした事も数回ありました
どれも認知症の兆しだったのかも知れません
次回は通い始めたデイサービスでのあれこれです