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ありがとうございます
この投稿を読み終わった後に、
あなたに幸せがた~くさん舞い込みますように
「子育て」ー「違和感」=「自分の価値観の見直しになる」
人は生まれた時から、
たくさんの人と関わりながら
日々を過ごしています。
赤ちゃんは目の前の物を手に入れたいと思うと
素直に手を伸ばし物に手が届くまで
体を動かして気付かないうちに寝返りが出来ていたり
足や手、身体の使い方を自然と工夫して
目標の物に向かっていきます。
それに比べて、
私たち大人はどうでしょう?
目の前にほしいものがあったとしても、
素直に手を伸ばしてとろうとする人は少ないのではないでしょうか。
例えば、
大勢の友達と一緒にいるとき、
お皿に美味しそうなお菓子が並んでいたとします。
すぐに手を伸ばして食べる人もいるけれど、
大半の人は誰かが食べ始めるまで
手を伸ばさずに状況を伺っているということは
ありませんか?
どうして欲しいのに手を伸ばさないのでしょうか?
違和感ですよね。
食べたいものがあれば、すぐに手を伸ばして食べればいいのに、
すぐには手を伸ばさずに様子を見る。
これをあえて言語化するならば、
「食べたいけれど、最初に食べ始めることは勇気がいるな。」
↓ それはどうして?
「みんなの分ないし、他に食べたい人がいるかもしれない。」
↓ それはどうして?
「自分だけが食べてしまうことが良いことだと思わない。」
↓ それはどうして?
「以前、誰かが私の食べたいものを先に食べてしまった時に、悲しい想いをした。」
↓ それはどうして?
「ほしい物があるのに、欲しいと言えなかった。」
↓ それはどうして?
「人と一緒にいるとき、自分よりも人を優先することがよいと思っていた。」
↓ それはどうして?
「小さい時に、滑り台を滑る時に、小さい子に先に行かせてあげたら褒められた。」
↓ それはどうして?
「褒められて嬉しかったし、それが良いことだと思った。」
という風に、それはどうして?と深掘りすればするほどに
自分の真の想いが現われてきます。
私の場合、欲しい物があっても手がでなかったのは、
過去の我慢して人に譲った経験が、影響していたようです。
このように、
大人である私たちは、
自分の気持ちに素直に考動することができたら、
「違和感」を感じることはないのですが、
今の自分の考動に何か違和感があるということは、
どこかで自分の意志とは違う考動が
積み重なっているのかもしれません。
大人である私たちに自分の想いが見えていない状況で
子育てをすると、
どうなると思いますか?
「なんか違う気がする。」
と思いながら子供と関わることで、
「なんか違う気がする」価値観で
子供を育ててしまうことになります。
価値観というものが、
自分に価値観というメガネをかけてしまうことがあります。
その価値観のメガネが
あなたが想う価値観ではない時、
子供に伝わる価値観もまた、
あなたの理想の価値観とは異なってしまいます。
「子育て」に違和感を感じているのであれば、
あなたの価値観をぜひ一度見直してみてください。
あなたの価値観が理想の価値観と一致したとき、
子育てもまた理想の子育てに変わってくるでしょう。