プロタゴラスの相対主義というものを依拠し現代の社会について考察した。


相対主義とは(人間の認識や評価はすべて相対的であるとし、真理の絶対的な妥当性を認めない立場)


善悪はそもそも何を基準として判断するのか。

現在の法律で犯罪者は刑罰を課せられるが、何を基準に犯罪とするのか。法律?勿論そうだ。刑法により法を犯せば刑罰を課せられる事が決まっている。しかし、量刑については弁護士、検事、情状証人の意見をもとに裁判官が吟味し決定する。

それぞれの意見は何を依拠としているのだろうか。

昨今増加傾向にある特殊詐欺は数年前では考えられない程重い量刑を課せられる。犯罪の悪辣性を見直した為か、流行りの犯罪を食い止める見せしめの為か、理由は幾つか考えられるが、今回は前者を相対主義と結び付けて考えてみよう。犯罪の悪辣性はその時代の世論に依って変化するもので、普遍的な多数決に委ねられていると考えられる。極論を言えば数十年、数百年後の法律で詐欺は犯罪では無い、騙される方にも責任があるといった考え方が普遍的に流布していたとしよう。そうなれば詐欺は処世術の一部と化するだろう。つまり犯罪に対する絶対的な定義は存在しないという事だ。飽くまでも善悪はその時代の潮流に依って決まるのである。

相対主義的な考え方は現代社会に於いて凄まじい力を奮っている。

マーケティング戦略などは良い例だ。

私はリゾートホテルのレストランウエイターを勤めていた事がある。若いカップルは高い料金を払った為料理は一流と決めて疑わなかった。その場を楽しんでくれていたのでこのような事を言うと野暮かも知れないが、その料理は業務用のパウチなどを温めて提供するというファミレスと変わらないものだった。しかしそのカップルは雰囲気のあるレストランと高い料金設定に依ってある種の微醺を帯びてしまったのだ。毎日その料理を食べていた私などは何の先入観もなく味を吟味出来たので、不味いとは言わないがどこにでもある平凡な物だと考えていた。高い物は良く安物は悪いという心理は相対主義を依拠した帰納的な心理だといえる。

良い物、悪い物を現代社会に蔓延る相対主義的な 観点から敷衍して考察すれば、それらはとても恣意的且暫定的なものという事が分かるだろう。

何が正しくて、何が正しくないのか、面白いものとそうでないもの、したい事としたくない事、敬遠している物事、貴方のそれらは何を基準にしているか今一度考えてみては如何だろうか。