7月の右乳房の超音波は

2人の放射線医師による読影だった。

一人目の医師は変わりなしとの所見で、

同じ日の夜、

二人目の医師が読影。

後に病院からレポートを取り寄せて読んでみると、

この医師はしこりの縁が不規則で悪性の疑い、

要再検査と補足している。

この二人目の医師に見落とされていたらと

ぞっとする。

 

医療通訳をやっていた時、患者さんの乳がん検診が

生体組織検査になることはあったし、

悪性の結果はまれだったので、

自分もそうかなと思った。

でも電話で再検査の話をされた時の様子、

そして追って病院からわざわざ書留で

再検査の通知が来た時は、

ほぼ悪性かと覚悟を決めた。

夫にはたぶん良性だけど

再検査することになったと言っておいた。

 

再検査の連絡から生検の全ての結果が出るまでが、一番精神的に辛かったと思う。

乳がんの方のブログを読み漁って、

最悪の場合ばかりを

仮定した治療計画を考えたり、医療機関の文献や

超音波の画像などを夜どおし見続けていたのも

この頃だ。

 

今から思うとひどく孤独だった。

どの程度のがんかある程度分かるまでは日本の家族にも黙っていた。

 

医療通訳という仕事上、がんセンターへも行くし、

医療機器メーカーや薬品会社の市場調査のため、

三者間コールで日本の医療従事者への聞き取り調査の通訳もしていたので、

乳がんの種類や薬についての知識はあった。

個人差があるとはいえ、化学療法でのひどい副作用も通訳として見てきた。

この知識や経験は冷静に現状を受け止めるには

役に立った。

 

メールで乳管がんとの連絡をもらった時もその後も落ち込んでいる暇はなかった。

日本の姉には電話での会話が一段落した所で、

そういえばねと、出来るだけ軽い感じで伝えた。

引っ越しのタイミングと治療の予定のすり合わせ、

考えることが山積みで感情が

どこか鈍くなっていのもある。

 

乳管がんはステージ1だった。

ホルモン受容体は陽性、

HER2はどちらとも言えないというのが

一つ目の病院での結果。

ここでかなり気持ちが楽になった。