子どもたちに優しかった米国3冠馬セクレタリアト。
無敵の強さを誇った20世紀ヒーローは、今も高い人気を誇る
桁違いの強さ、そして今だもって破られない不滅の記録の数々・・・。
50年も前に米国で活躍した馬だというのに、絶大な人気ぶりは今も健在。
その燃え立つような毛色と、馬2頭分と言われた後駆の盛り上がりから
”Big Red(ビッグレッド)”の愛称で親しまれてきた、セクレタリアト。
あのTimes誌やNewsWeekの表紙をも飾り、今もファンの心をつかんで離さない
このアイドルホースは、人気という意味では米国版オグリキャップといえるだろう。
昔、評論家の石川ワタル氏が著書の中で「よくもまあ、こんな馬が5回も負けたもんだ」と
つぶやいていたけど、本当にその通りだと思う。
21戦16勝(1位降着が1回)も十分すごいけど、下記を読んでいただけば、
それがどうして不思議なのか、わかって頂けるのではないだろうか。
■セクレタリアトのココが凄い!!(まとめ)
(1)若干2歳で全米No.1年度代表馬に
この馬の凄さの一つは、米国競馬史上初の2歳で年度代表馬(エクリプス賞)に輝いたことだろう(※1)。これは同年、米国クラシック2冠の偉業を達成した名馬リヴァリッジをさしおいての選出で、現在でもフェイバリットトリックと合わせて2頭しかいない(ちなみに、JRAには2歳で年度代表馬になった馬はいない)。
(2)1948年のサイテーション以来、25年間、誕生していていなかった
米国3冠をあっさり達成
(3)3冠レースで記録したレコードタイムが
50年経過した現在も、どれ一つ破られていない
参考:ベルモントスパーク競馬場のトラックレコード表
2000年以降の記録が並ぶ中、1973年の記録が残っている
https://www.equibase.com/premium/eqbTrackRecords.cfm?trk=BEL&cy=USA
(4)ベルモントステークスで2着につけた着差は31馬身差(馬なり)。
勝ちタイムは現在も世界レコード。
800m以降の通過ラップも全てレースレコード。
1973 年のベルモントステークス
不安になった騎手が何度も後ろを振り返る
●レース映像はこちら!
海外競馬 凄いレース(7)1973年 ベルモントステークス(米GI) | ま、いっか。のブログ (ameblo.jp)
(5)ベルモントステークスで唯一、セクレタリアトの追走を試みたシャムが、
途中でついていけず故障してしまう
(6)3冠レースを世界レコードで圧勝した直後、何事もなかったかのようにケロッとして、
仲良しの誘導馬に駆け寄って仲睦まじそうにじゃれあっていた
(7)ベルモントパーク競馬場の別レースで樹立したダート1800mの勝ちタイムが、
トラックレコードとして現在も破られていない。
(8)調教でダート上がり3ハロン、32秒6をみせてしまう(2歳時)
(これ、坂路だったっていう海外の記事を読んだのだが・・・おいおい・・・)
(9)カナダへ遠征した芝レースでも世界中から強豪が集う中、
ゴール200m前で後続に大差をつけてから、馬なりで流すという鬼畜っぷりで圧勝してしまう(繰り返しますが、芝レースです)
(10)1989年の死後、遺体を解剖すると(心肥大でない健康体なのに),
心臓の大きさが通常の2倍の9.6Kgもあった
(11)62kgの調教助手を乗せ、
報道陣の前で芝5ハロンを56秒8で走ってしまう
(12)馬がTime誌、NewsWeek誌の表紙を飾ってしまう
レースの時は青と白の交差したメンコがトレードマークだった
(13)切手になってしまう
(14)1完歩の最長ストライドは8m53cmもあった
(15)チャリティーオークションで、ベルモントSで履いていた蹄鉄が
17万$(約200万円)で売れてしまう。さらにゆかりの品を出品したところ、
4000万円も集まってしまった。
(16)母父として送り出したストームキャット・エーピーインディ・ゴーンウエストが
種牡馬として大成功を収めてしまう
(17)CBSテレビの「20世紀のTOPアスリート100」企画で、
人間に混じってランクインしてしまう
(18)ディズニー映画の主役になってしまう
追走の馬が来ず、不安になって後ろを振り向くロンターコット騎手
(19)生涯キャリアは、たった”1年”
これだけの偉業や不滅の記録の数々を樹立したにも関わらず、実は彼の生涯キャリアはわずか1年3か月。しかも、この内3か月間は休養期間だった為、実質1年しか走っていないことになる。この短い期間に3冠レースや他国遠征まで含め、21戦をこなすタフさも凄いし、何より 1度もケガも病気もしなかったことは無事是名馬の象徴といっていいとさえ感じる。
■補足(※1)
1970年以前はネイティブダンサーを含め4頭の2歳年度代表馬がいるが、厳密に年度代表馬という指標がなく、デイリーレーシングフォーム社などが独自基準で選定したものであり除外した。
■レースキャリア
「優駿たちの蹄跡」
■ベルモントステークスでのロン・ターコット騎手の手記より
主戦のロン・ターコットの手記に、ベルモントステークスに騎乗した際、2コーナー目でこの馬が初め て4速目のギアを隠し持っていたのに驚いた直後、こんどは3コーナー目で5速目のギアが出て驚愕。これで最後だと思ったら4コーナー直前で6速目が出て恐怖を覚えた、って書いてありました。結局、セクレタリアトはギアをいくつ持ってるか、わからなかったらしいです。
■ダート2414mの世界レコード(2:24:00)について
ベルモントステークスの最後の1ハロンは12.8秒で、ロン・ターコットが不安になって何度も振り向く動作から、馬を完全に流す体制に入ってるのがわかります。2400mの通過タイムは2:23:20とされいますが、ターコットが追っていたら2分22秒前半だったのではないかと思っています。
■39年ぶりに塗り替えられたレコード
じつは2012年、セクレタリアトがマークしたプリークネスステークス(GI)の記録が39年ぶりに更新されるニュースがありました。「ついに不滅の記録が破られたか」と思ったら、最新の技術で勝ちタイムを再計測した結果、従来よりもはやい1分53秒0となり、勝ちタイムがさらに早くなったという、すごいオチでした。
※プリークネスステークスの計測時計については長年論争が続いていたのですが、長くなるので割愛します
■仲の良かった友達、”ビリー・シルバー”
セクレタリアトには厩舎で飼われていたアパルーサ種の馬、”ビリーシルバー”という友達がいました。セクレタリアトのレースがある日は、いつもこのビリーが発走地点のゲートまで帯同してくれたため、馬が気分を落ち着かせることが出来、レースで力を発揮することができたのです。ビリーがいなければもしかしたら歴史は変わっていたかもしれませんね。
残念ながらいくつかの写真以外に細かい情報はわかっていません。
【billy sillverの貴重な写真】
https://www.worthpoint.com/worthopedia/secretariat-billy-silver-signed-95615571
1989年に蹄葉炎で亡くなってしまいますが、
生前に1度でいいから本物に会って見たかった馬です。
深い信頼関係にあった担当厩務員のエディ・スウェットとセクレタリアト
今も子どもたちに大人気の名馬、セクレタリアト