競走馬 終末の地 | ま、いっか。のブログ

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ブルーなネタなので、閲覧注意を。
 

今週開催された小倉競馬の未勝利レースを、私はいつもと違う感覚で見ていました。恐らく、このレースで負ける多くの馬たちが、高い確率で屠殺されてしまうからです。

 
もちろん全てはありません。
でも多くが、
そうされてしまう運命にあります。
 
そもそも競走馬の場合、最終的には殺されてしまう運命にあるわけですが、小倉競馬や福島競馬で出走している場合、負けてしまうと(場合によっては勝った場合でも)すぐに屠殺工場行きで、翌日には桜肉として販売されることもある(小倉競馬場から北九州市立食肉センターまでは、わずか6kmしかない)。言い換えると、廃用に回す前の”最後の一儲け”があれば、というわけです。鼻差で2着に負けた馬や、出遅れた馬など見ると、とても複雑な気持ちになります。
 
「でも、重賞を取った馬なら殺されないでしょう?」、私も昔はそう思ってました。たしかに今はそういったタブーの部分を改善しようという動きもありますが、現実はそんな生やさしいものではありません。
 
 
店頭に並んだ”さくら肉、本日締め400キロ”
 
以前は、レース中に骨折して予後不良になった馬を”安楽死せずに”、そのまま屠殺処理場に運んで金にしていたことが横行していました。勇気ある新聞記者がこの事実を暴き、世にも悍ましい実態を明るみに出したことで、以来、そのようなことは行われなくなったようです(真相はわかりません)。もし気になった方がいれば、いちどWikipediaで”ハマノパレード”という馬を検索してみてください。
 
GI馬でも屠殺されたと推察される例は昔からあり、古くはオグリに勝ったオサイチジョージやレオダーバン、カネミノブ、ヒカリデユールなど。海外で有名なのは、世界最強の一頭と呼ばれるシーバードがいます。ちなみにシーバードは凱旋門賞馬です。中でもケンタッキーダービーとブリーダーズCという、世界最高クラスのGIを勝った1986年のアメリカ年度代表馬ファーディナンドは、バブル期の日本が大金をはたいて輸入したのですが、すぐに日本で屠殺されたことがわかり、海外に報道されて大きな非難を浴びました。
 
これは例えるなら、日本のディープインパクトが種牡馬として海外に輸出された後、子供が走らないとわかるとすぐ屠殺されるようなものです。過去の栄光など関係ないわけです。ちなみに、欧州と全米でGIを11勝もした世界的名馬エクセラーも、ファーディナンド同様、すぐに屠殺されたことが判っています。
 
 
(参考 過去ログより)「GI11勝の世界的名馬エクセラーが屠殺される」
 
 
名馬エクセラーの場合、全米で抗議活動が起きて彼の出身地であるカリフォルニア州では、60万人もの署名を集め1998年、馬の屠殺を非合法化する住民投票を可決したほど。この取り組みはその後、全米に広がっており、多くの州で屠殺が非合法化されている。
 
話が飛びましたが、私も競馬をやるので、「これが良い悪い」ということはいえませんが、競馬を知れば知るほど、こういうアンダーグラウンドな部分も見えすぎて楽しめないことが多くなってきた。
 
こんなことを言うと怒る人もいるだろうが、レース中に骨折して安楽死される馬ほど幸せな馬はいないのではないか、と錯覚するほどだ。
 
応援してくれる方や生産者、厩舎の方々から大事にされ、悲しまれ、皆に見守られて大切に供養をしてもらえる。
「競走馬は競走馬である時が一番大事にされる」と聞いたことがある。
それが引退してから、逆になる
 
もちろん人気がある馬も中にいるが、それはほんの一握りにも満たない。
多くが名前を失い、守ってくれる人も応援してくれる人も帰りを待ってくれる人だっていなくなる。
8歳とか、9歳とかで引退させないで走り続ける馬たちに「はやく引退させて余生を」と昔は思っていたが、
今では、とてもそういう風に思えなくなった。もっと稼ぎたいという馬主の思惑がある人もいるだろうけど、
中には馬主の愛情の裏返しの場合もあるのではないか。
 
 
■”乗馬転向”が意味するもの
 
昔は、好きな馬が引退して乗馬へ転向したことに、余生が決まってホッとしていた自分がいた。しかし、のちに引退先が乗馬というのは引退→いきなり廃用としてしまうと世論的に印象が悪い、風当りが強くなるのをさけるためのカモフラージュであることを知ってしまった。つまり乗馬は、基本的にたどり着く先は廃用なのである。
もちろん全てではない。でも殆どがそうである。喜んでいた自分が恥ずかしくなる。
 
地方競馬はもっと悲惨だ。賞金が少ないため、レースに勝っても処分されることは普通である。ばんえい競馬などは、レースに出るための検量試験で失敗したら廃用に直行して馬肉にされてしまう残酷さ。そう思うと、地方競馬で107連敗もしながら、余生を与えてもらい、現在も幸せに牧場で暮らし続けるハルウララは、本当に本当に奇跡的な存在だと思います。
 
 
■馬と共存の未来へ
 
国は3兆円を超える税収の源となってる彼らに対し、もっともっと保護支援する義務があるはずではないか。馬を犬や猫と同じにしてはいけないと思うが、一度飼った以上は最後まで責任をもって欲しい。面倒見れなくなったら保健所行きというのはあんまりだ。
 
馬主資格にある程度の保護義務を追加したり、馬の生産数を抑える代わりに10歳以上、15歳以上の馬限定で作るレースの増設して馬の雇用を増やす。高額となってる飼育費、管理費に対して、国やJRAが支援する制度、
そしてそれを悪用されないように、きっちり監視するシステムの運用を構築してほしい。
 
(2021.7.13加筆)