昨年の3月
退職の際、子ども達と保護者の方から ”感謝状” をいただきました。

頂いた瞬間、予想もしていなかったことに嬉しさと感動で、思考が停止したのを覚えています。
「私達は自分の力で進むべき道を探して見せます」
おそらくこれは 教育の最大の ”目的” であり ”願い” です。
願いが伝わっていたことに、私は正直戸惑すら覚えました。まさか伝わってくれているとは・・と思ったのです。
私は最高の言葉をいただきました。
感動と感謝の気持ちでいっぱいでした。
しかし、不思議なことに涙は出ませんでした。
その時はっきりと私は、自分が限界にきているのだと実感したのです。
私は基本的に、嬉しいことは嬉しいと大騒ぎするし、楽しいことは楽しいとそのまま表現します。
しかし保育の現場においては、どんなに感動しても私は 涙を流すことがあまりありませんでした。
なぜなら、泣く行為は自分を見失うと思っていたからです。
私は自分が感情のるつぼにはまり、自分を見失うことに恐怖を感じていたのだと思います。
私が感動して涙を流している間も、他の誰かは感動できない事情を抱えているかもしれない。その人に気づけない自分であってはいけない。と思っていたのです。
しかし現実は、私が涙を流さない程度のことで、子ども達や保護者や保育者の想いや事情に気づいて、何かしらの手立てを打てるほど甘いものではありませんでしたが・・。
あの時、涙ができなくなっている自分がどれほど緊張状態にあるのか実感したのです。自分ではその緊張状態をもう止めることができずにいたのでしょう。
私は、涙を失ったのだとも思ったのでした。
そして昨年の4月1日から、私は ”先生” ではなくただの ”学生” になりました。
そして私は、溜め込んだ現場での ”悔しさ” と ”不甲斐なさ” を大学院でぶつけました。
事例研究などでは、自分の事例を提供して教授や院生と事例を洗い直し再検討しました。
他に手立てはなかったのか・・・。
子どものこと
保護者のこと
保育者のこと
園経営のこと
検討をしながら、私はたくさん涙を流して泣きました。
涙は失っていませんでした。
それどころか私はただの泣き虫でした。(笑)
積もり積もった悔しさと不甲斐なさから解放された私は、実によく泣きながら、授業を受けていました。
そして泣いていたのは、他の院生も同じでした。
教授や仲間に受け止められ、そしてこうすればよかったのかと気づき、そして泣いていたのです。
秋学期の頃
涙は闘志に変わりました。
どうしたらよいのか?
それぞれの課題に対して理論と実践を往還させながら、なんとか現場に還元できる気づきを得ようと邁進しました。
そして一昨日
最終プレゼンを終え、大学院2年生の春学期が終わりました。
私はもう泣きながら授業を受けることも、怒りや悔しさを全面に出して授業を受けることもなくなりました。
1年前とは全く違う穏やかな気持ち
よかったね!と自分に対して思うと同時に、私は感じています。
私はそれだけ 現場から離れたのです。
決して現場が穏やかになっているわけではないのです。
現場は今もなお、日々生々しい課題が山積する中で、保育者も保護者もそして子ども達もがんばっています。
私は、現場の苦しさも、そして喜びも決して忘れてはいけないと自分に言い聞かせています。
自分の進む道に邁進し、私は最高の先輩になることを約束しているのですから。
いろいろなことを背負ってもなお
”願い” と ”情熱” と ”賢さ” を持って前に進む素敵な大人の背中を私は知っています。
私もそんな背中になれるようにがんばるぞ!
といつものように「感謝状」を見ながら誓ったのでした。