昨年の2月末、年長組の担任だった私は、仕事を辞めて大学院に行く事を直接子ども達に伝えたのです。

 

「先生は、もっともっと幼稚園の先生のお勉強をしたいから、1回、先生をやめて学校でお勉強をすることにしました。みんなと同じように、先生も幼稚園を卒園して、お勉強するからね!頑張ろうね!」

 

「へー!!」

「先生のランドセル、何色?」

「先生はどこの学校?」

「先生と同じクラスかも!」

 

 

私はその後、一応、幼稚園〜大学院までの学校について説明をし、

 

みんなと同じ小学校ではないこと

ランドセルのない学校に行くこと

 

を伝えたのでした。

 

 

の時には、

お掃除頑張っている子に、

 

お掃除がんばっていてすごいね!実は・・・誰にも言わないでね!先生はお掃除があんまり好きじゃないんだ・・だから頑張ってやっているの見てすごいな!って思っちゃった!

 

と言うと、

「大学院に行ったら、お掃除があるかもしれないから、先生もがんばるんだよ!」

 

優しい目をして言うので、私としては「はい!」としか答えられませんでしたが・・・(笑)

 

 

一連のことでも私は思いました。

子どもというのは、相手に目線を合わせるのが実に上手です。

 

年下の子に対する子ども達の目線の合わせ方も、常々素晴らしいと感じていましたが、この件では

 

”先生が先生を辞めて学校に行く”

 

という複雑な状況にも関わらず、相手の状況を考えて目線を合わせようと調整してくれています。

 

 

大人には、それがどうして難しいのでしょうか?

 

これもまた、私が 子ども達から学びたい と思っていることなのです。

 

昨年の3月

退職の際、子ども達保護者の方から ”感謝状” をいただきました。

 

 

頂いた瞬間、予想もしていなかったことに嬉しさ感動で、思考が停止したのを覚えています。

 

「私達は自分の力で進むべき道を探して見せます」

 

おそらくこれは 教育の最大の ”目的” であり ”願い” です。

 

願いが伝わっていたことに、私は正直戸惑すら覚えました。まさか伝わってくれているとは・・と思ったのです。

 

私は最高の言葉をいただきました。

感動と感謝の気持ちでいっぱいでした。

 

しかし、不思議なことに出ませんでした。

その時はっきりと私は、自分が限界にきているのだと実感したのです。

 

私は基本的に、嬉しいことは嬉しいと大騒ぎするし、楽しいことは楽しいとそのまま表現します。

 

しかし保育の現場においては、どんなに感動しても私は を流すことがあまりありませんでした。

 

なぜなら、泣く行為は自分を見失うと思っていたからです。

私は自分が感情のるつぼにはまり、自分を見失うことに恐怖を感じていたのだと思います。

 

私が感動して涙を流している間も、他の誰か感動できない事情を抱えているかもしれないその人に気づけない自分であってはいけない。と思っていたのです。

 

 

しかし現実は、私が涙を流さない程度のことで、子ども達や保護者や保育者の想いや事情に気づいて、何かしらの手立てを打てるほど甘いものではありませんでしたが・・。

 

 

あの時、涙ができなくなっている自分がどれほど緊張状態にあるのか実感したのです。自分ではその緊張状態をもう止めることができずにいたのでしょう。

 

私は、涙を失ったのだとも思ったのでした。

 

そして昨年の4月1日から、私は ”先生” ではなくただの ”学生” になりました。

そして私は、溜め込んだ現場での ”悔しさ” ”不甲斐なさ” を大学院でぶつけました。

事例研究などでは、自分の事例を提供して教授や院生と事例を洗い直し再検討しました。

 

他に手立てはなかったのか・・・。

 

子どものこと

保護者のこと

保育者のこと

園経営のこと

 

検討をしながら、私はたくさんを流して泣きました。

は失っていませんでした。

それどころか私はただの泣き虫でした。(笑)

 

積もり積もった悔しさと不甲斐なさから解放された私は、実によく泣きながら、授業を受けていました。

そして泣いていたのは、他の院生も同じでした。

 

教授や仲間に受け止められ、そしてこうすればよかったのかと気づき、そして泣いていたのです。

 

 

学期の頃

闘志に変わりました。

どうしたらよいのか?

それぞれの課題に対して理論と実践を往還させながら、なんとか現場に還元できる気づきを得ようと邁進しました。

 

 

そして一昨日

最終プレゼンを終え、大学院2年生の学期が終わりました。

私はもう泣きながら授業を受けることも、怒りや悔しさを全面に出して授業を受けることもなくなりました。

 

1年前とは全く違う穏やかな気持ち

 

よかったね!と自分に対して思うと同時に、私は感じています。

 

私はそれだけ 現場から離れたのです。

決して現場が穏やかになっているわけではないのです。

 

 

場は今もなお、日々生々しい課題が山積する中で、保育者保護者もそして子ども達がんばっています

 

 

私は、現場の苦しさも、そして喜び決して忘れてはいけないと自分に言い聞かせています。

 

自分の進む道に邁進し、私は最高の先輩になること約束しているのですから。

 

 

いろいろなことを背負ってもなお

”願い” と ”情熱” と ”賢さ” を持って前に進む素敵な大人の背中を私は知っています。

 

私もそんな背中になれるようにがんばるぞ!

 

 

といつものように「感謝状」を見ながら誓ったのでした。

 

 

 

 

 

クーイズクイズ!

この相関図は、いったい

何を表しているでしょうか?

 

砂時計 砂時計 砂時計 砂時計 砂時計 砂時計 砂時計

 

 

 

えは・・・

大学にある「シマトネリコ」というに、カブトムシが沢山集まっていることを発見したA教授から始まった、

 

「カブトムシが沢山いるよ!」

 

伝達および見学をした順番を表した相関図でした!!

 

 

これは私が把握しているもののおおよそですが、大学生に伝わるまでに結構いい歳した大人沢山絡んでいることがわかります。(笑)

 

群がるカブトムシ見たさに、みんなわざわざ足を運んでいます。

 

私もかれこれ1週間毎日見に行っていますが、他の方々もしかりです。

 

 

どうでしょう!

 

カブトムシ興奮し、カブトムシワクワクできる大人達!

 

 

「多くのことに出会い発見したり驚いたり、心揺さぶられる体験を通して、様々なものに興味関心を持ち、考えたり工夫したり、周囲の人と共感する喜びを知って欲しい!」

 

これが子ども達への願いです。

 

その教育に関わっている人達が、この人達です!

 

何だか日本の教育も悪くないな!

っと思えてきませんか?

 

 

手前味噌ですが、私はこのメンバー

カブトムシを見てワイワイしている風景、

 

一眼レフカメラ「カブトムシをカッコよく撮る」

と言っている教授を見て、とてもワクワクしています。

 

 

これからもっともっと、

子ども達の為にいい教育ができそうな

何だかそんな予感のする相関図なのです。

 

やや手前味噌で恐縮なのですが・・・