子「ねえ見て!見て!
ダンゴムシいっぱい見つけたよ!」
従姉妹の4歳になる男の子が、庭で見つけた大量のダンゴムシの入った袋を従姉妹に差し出して、
嬉しそうにこう言ったのです。
すると従姉妹は・・・
大人「おー偉いね!
沢山、退治したんだね!
じゃ、その(ダンゴムシの入った)袋はそのまま、外のゴミ箱に入れておいて!」
子「・・・・。」(絶句)
幼児教育に携わるいわゆるプロであったなら、この言葉を発することはないでしょう。
◆子どもの発見を大切にし・・・
◆子どもの喜びに共感し・・・
◆この機会を学びにつなげようと、ダンゴムシと触れ合う時間を確保し、観察してみたり、生態を絵本で調べてみたし、飼育してみたり・・・
きっと、保育に携わる人ならそんな基本的反応をすることでしょう。
当然、教育的観点があってこそのプロですから、それはそれでいいのですが・・。
しかし、
これはこれで悪くない!
と私はこの時、思ったのです。
彼にしてみれば、想定外の反応をされて絶句した「・・・・。」の時間ですが、視点を変えてみると、ここには別の大事な意味があると感じたからです。
きっと彼はこの時、想定外の反応をされて、彼なりに必死に頭を働かせて考えたことでしょう!
それでも、彼は答えにたどり着けませんでした。
そして彼には、疑問が生まれるのです。
「どうしてダンゴムシが悪者にされるのか?」
目の前のダンゴムシが、
彼にとってもは、魅力的な生き物!
従姉妹にとっては、害虫!
になってしまった訳ですから・・(笑)
幼児教育で、
”命”
を扱っていると、しばしば難しさを感じることがあります。
それは、発達段階ゆえに、どうしても子ども達にとって理解の難しいことがあるからです。
例えば、
食物連鎖
子ども達が見つけてきた”おたまじゃくし”を園で育てていてカエルになった時、”生き餌”が必要になります。
害虫
何となく見た目は似ているのに、クワガタは歓迎されて、ゴキブリは疎まれる現実。
害虫は「農業害虫」「衛生害虫」「不快害虫」に分類できること。
「命は等しく平等である!」
と、感情的に理解している子ども達に対して、「命の大切さ」と同時に「自然の摂理」や「人間固有の価値観」を伝えることは、非常に難しいのです。
それでも、意図的・計画的・組織的に行われている教育の現場では、それらを子ども達の発達段階に応じて、伝えていく訳ですが・・・。
しかし”真の学び”に必要なことは、プロ集団に囲まれていることではないと思うのです。
自らの問い
こそが、真の学びに向かう原動力だからです。
ですから、想定外の反応をされた彼が、自分なりに理解をしようと頭をクルクル働かせたことで生まれた問いこそが、”真の学び”のスタート地点と言えるのです。
学びに向かう力
は、今、教育現場で非常に大切にされていることです。
ですから、この視点に立ってみると、自らの問いが生まれたこの瞬間は、結構いい瞬間だと言えるです。
ただし、
ここで意味のある問いが生まれたとしたら、彼と従姉妹の間に確かな
信頼関係
があったからに他なりません。
もしも信頼関係がなかったなら、ただの否定になってしまい、もっといえば人格否定につながり、子どもの自己肯定感を削ぐだけの出来事になってしまいますから・・・。
改めて、人が育つというのは”複雑”だと思うのです。
もしその育ちの過程の複雑さを補う方法があるとすれば、"多様性" が許されている環境なのかもしれない・・・
と思った5月の連休なのでした。
ちなみに…
彼はダンゴムシをゴミ箱に捨てることはなく、従姉妹に交渉していましたので、ご安心ください。(笑)