わっ、出た⁉️と思った。
でも、やるべきだとも思ってきたからやるべき。
おかげで朝から気合いが入る。
これで輪をかけてやるとすれば張り合いかも。
自分がなければ人の言う通りにするしかないんだろう。
確かに経験も知識も違うんだし、プロか素人かでも見方も判断も理解の仕方も違うんだ。
知りもしないのに偉そうなことは言えたもんじゃないし、プロから見ればそんなの可笑しいと思われる。
だから、何でも経験や学んだこと、視る目で知り得たことで諭したり述べたりすることが大事なんだろうし、自分達は適当に畑違いのことを、わざわざ言葉を装って突っ込んで言うなんてことはしようとは思わない。
それはバレるからだし、人のものを最もらしく言うという考えは思い付かないからだ。
だからこそ、着目したんだよな。
過程が違う。
専門も環境も違う。
急なことに積み重ねはない。
急げば、その辺の目についたものを拝借するのは、何事でもそうだろう。
飾る気がないなら違うかも知れないが。
急に高尚にも高潔にもならない。
物事は何でもそうさ。
何言い出してるんだ?と思えば、裏があったりする。
あまりにも凄すぎて逆に引くことはあるもので、そういう者はそうして人を打ち負かすことに、ある程度の喜びを感じたりするのかも知れないな。
だけどすごい。
平仮名を漢字にしてみたり、言葉尻を辞書から引っ張ってきたように変えてみたり、違う人を当てがって登場させて、いかにもそれに関係するように作ってみたりして凄い巧妙なことからも、まず意図が丸見えだ。
確かにそうだ。
成り切っているのも一つの様相だと思っているが、それはまだ明らかにはしない。
年を重ね、何を重ねてきたかも分かる。
視るプロはいる。
小さい一つの枠の中でやれば、同じ人が見ているし、賢い人ならすぐ何をやっているかは分かるはず。
そんな中で突っ込んだこと、独特なことまで同じことを言う人間が果たしてどれだけいるのか?ということなんだろう。
女性は中年になればもっとめんどくさいな。
自分達も気をつけようという、念も入っていての取り組み。