皆さま、とか始まって、しかも、どうしても先に話したい。
そういうマナーを弁えないのに、何を焦って書くことあんだろな。
思わぬところで、大人の配慮ができないことがあることは驚きだと話していたが、もう、もり立てたい人のためではなくなっているようだな。
そして人と同じことをやったり、人のお株を取って先に、まだ終わってないうちから答えを出すという見識のなさ。
以前、誰か芸能人の言葉で、先に情報や内容を流すようなことは控えてほしい、と言っていたし、それはごもっともなことだろ。
得意になって、その内容をダラダラ書きなぐったところで、楽しみにしている人の目に入ったら興醒めだろうな。
何を慌てて書いたんだ、今日に限って。
せめて、そういうことは全て終了してからにするのがエチケットだろうな。
そう話をしながら、自分達は気をつけようと思った。
不快なことだもんな。
こうなると、もう自分のため。注目してもらいたい一心だということだろうな。
そして指摘されないとやるんだよな、結局。
いちいち人の言う通りにしかやれない。
人に指示されなきゃ、その通りにやらなきゃならない。
その人が言う通りにやれば、良く見られる。
結局、自分の発想でも実力でも何でもないということが分かるんだよ。
こうしたらいい、ああしたらいい。
それを鵜呑みにして流される。
結局そこに自分はないんだよ。
それが、時系列で明らかになる。
誰かの発言によって、人と違うことにしてみたりする。
思った通りなんだ。
結局はそうなんだよ。
自分でいいと思ってやってるんなら、どうしてイチイチ、コロコロ、人の言うことに倣わなきゃならないんだろうか。
もうね。
同じタイプは、同じことをするある種の定説は成り立ち、指摘をされれば嫌みに、ある意味逆襲したりする。
そんな仮説も成り立つ。
相手にまつわることを引用して(笑)と付けるという嫌らしさが、質の1つの証としている。
人に流される。常に人を見て何かをやる。
人と自分を比べてやる。
それは自分から出るものがないということを認めているようなものだろうな。
そこで上等なことをしようとするから、自分らしさもなく、右に倣えてこぞって同じことをするようになってしまうと考えている。
それは何故か?
それも予測しながらのことである。
だから、こういうことが起こるんだよ。
年が上がれば上がるほど、図々しくもなれば、質も悪くなりがちなのも女性だったりする。
しかし、年を重ね、良い意味で開き直り、自分という存在を明確にしてるものでもあるんだろうな。
普通はそうなんだよ。
人に乗じてカッコつけて、何か点数になるんだろうか。
子供の頃なら真似っ子もいたんだろうが、今はちょっと青ざめて見ている。
なぜ培わないのか?
自分を磨かない限り、人と同じことをしてみたところで、同じように思われることも、なることもない。
磨いて埋めていけば、自分の力で何とでもなるんだ。
あまり見映えのよいことじゃない。
人と同じにして良く思われたいからと言って、むやみに人の物や個性や良さなんかを盗んで、それで自分を飾るだけしていれば、人は気づくし、またそれも人としての感性や哲学、倫理観を問われることになるだろうし、それもまたエチケットの範疇とも言えるんだろうな、、
これが今の見解で、直近の話に集約されることだ。
上を見ればキリがないんだ。
まずは自分を見よ、ということだと思う。
そこは通らなきゃ行けないとこなんだろう。
だから、みんな勉強もするし、努力してるんだよ。
まず、それに目が向かないうちは、成長もないし、自分も高まらない。
隣の芝生ばかり見たって、キリがないよな。