面会調停 続き | 別居によって自由を手に入れたされ妻 DVの日々・突発性難聴・我慢の日々よ永遠に 

別居によって自由を手に入れたされ妻 DVの日々・突発性難聴・我慢の日々よ永遠に 

配偶者の不貞発覚による涙の日々から奮起し、
こども達の生活を守るための調停や
malokoの気持ちの変化など
コーチングとの出会いも含めて
別居という心の自由を手に入れ
生活している現状の様子などを偽りなく備忘録として。

調停員 「学校には行けていないが野球には行けている」

 

私 「はい。上の子も野球をやっていて、その時は結構配偶者も練習に一緒に参加していたんですね。なので、その頃を知っている保護者の方が「お父さんお仕事忙しいの?」などと聞いてくるんですね。そうすると、どう答えていいかわからず黙ってしまうという事が有ったので、今回は保護者にも、子どもたちにも父親の話はしないで欲しいと事前にお願いをしましたので、のびのびと野球には参加しています」

 

調停員 「お父さんのがおうちにいらっしゃらないという事で○○(次男)に何かを言ってきたりするお友達のことは先生にはお話ししたんですか?」

 

私 「はい、4年生のころから担任の先生にはお伝えしましたが大きく何かをしてくれたという事は有りませんでした。ですが、学校に行けなくなってしまった要因にもなってしまっている現状を学校側が配慮してくれたのか、たまたまなのか、5年になったらゲームを強要してくるお友達とはクラスが別れました」

 

調停員 「クラスが別れたんですか?」

 

私 「はい。ですが学校には行けていないです」

 

調停員 「学校に行けていない要因として、お父様とお話しできないからって事は考えたことありますか?」

 

私 「私も、子ども達が淋しい思いをしていたらと考えて、当初は連絡も自由に取り合っていました。ですが、○○(配偶者)がちょうど前回の離婚調停の終盤の頃ですので、最終の金額決定の時にも少しお話をさせて頂いたとは思うのですが、次男が野球に行けなくなってきていた時に二人でキャッチボールをしていたら、次男が格闘技に興味があると言って来たと。だから空手の体験に連れて行ってあげたいと言って来たんですね。私は特に止めることも悪、配偶者と次男で連絡を取り合いながら体験の日にちを決めたと思うんです。そして、ほぼ同じころ、調停で家庭教師と教材は払っていけないから止めたいとも言っていたと思うのですが、私はそれにも反対することも無く受け入れました。ですがそのあとになって長男には塾の体験に行かせたいと言ってきました。私は、これに対しても反対もせずどうぞと伝えました。次男の空手の体験は、実際に1度連れていき2回目の体験の日程も組んできていましたが実際は頭痛がするという事でお休みしたんですね。すると、体験教室のパンフレットを送ってきてあとはよろしくみたいなことを言われたんですね。私は、野球でさえ自宅からかなり離れているところなので正直送迎がきついと思っていました。ですが、子どもがそこでやりたいと言っていることもあり受け入れていたんです。それを、野球を辞めるんだったら大丈夫でしょ?みたいなことを言ってきて。私が空手を習わせたいと言ったわけではありませんし野球を辞めたからじゃあ、空手で。という答えにはなりません。調停で決定した婚姻費用は生活していくうえで最低限の金額となっています。金銭的にも時間的にも余裕は有りません。習い事をさせるには月謝と言う目に見える金額の他に、送迎の時間だったり、食事の準備だったり、使用する道具や衣類の準備だったり、もろもろかかってくるんですね。それをあとはよろしくと言われても、私がやらせたくて始めるのなら徹底的に付き合いますがそうでなく、配偶者がやらせたいと思ったのならそれは配偶者が全て対応するのが筋だと思うんです。また、長男の場合も、家庭教師も教材もお金が無いからという理由でやめさせておいて、塾に行かせたいって、その月謝はどこから出すんですか?って話です。我が家は交通の便が悪いところに住んでいるので、帰宅が遅くなると思うと送迎が必須になります。塾の前には軽食を、帰ってきたら食事を、夏期や冬季にはまとまった金額がかかります。それができないから家庭教師にしようと言う話になっていたのに、塾のお金もあとはよろしくみたいに言われて。言っている意味が全く理解できません。散々子どもたちに期待をさせて、やっぱり出来ませんって言うのは無いと思うんです。なので、子どもに期待を持たせるような中途半端な事をして、あとはお前がよろしくねなんてことを言うなら、するなら、もう連絡を取らないでと言ったんです」

 

調停員 「時々父親として何かしら一石を投じるようなことをするのはやめてくれっていうことですね、それで中途半端という事なのですね」

 

まだ続く・・・