調停(円満調整)が始まった 1回目 | 別居によって自由を手に入れたされ妻 DVの日々・突発性難聴・我慢の日々よ永遠に 

別居によって自由を手に入れたされ妻 DVの日々・突発性難聴・我慢の日々よ永遠に 

配偶者の不貞発覚による涙の日々から奮起し、
こども達の生活を守るための調停や
malokoの気持ちの変化など
コーチングとの出会いも含めて
別居という心の自由を手に入れ
生活している現状の様子などを偽りなく備忘録として。

別居を始めて1か月経つか経たないかぐらいでようやく調停の第一回目の期日が来たニコニコ

子ども達が成人するまで何とか修復?見せかけ?ができたらと思って申し込んでいた調停だったが、すでに別居も始めている。

私の中では、やり直しの調停ではなく、離婚に気持ちは向かっている照れ

 

調停当日

お互いが顔を合わすことが無いようにと、30分ずつ時間をずらして来庁するようにとなっていたこともあり、私が申立人なので先に調停員さんと話を始めた。

私はかなり緊張していた方で、「落ち着いて深呼吸しましょう」の一言から始まった爆  笑

申し立てをしてから今日までに生活の変化や気持ちの変化などは有ったかと聞かれたので、合意の上ではないが別居することになった旨を伝えた。

調停員さんからは、円満調整で良いかと聞かれたので、

「出来る事なら円満で終われば良いが、別居も始めているので円満は難しい現状だと思う」と、今の気持ちを伝えた。

子どものことがあるので、そこが一番引っかかり、離婚するのであれば、子ども達の養育費を成人に定めるのか、学生生活が完了するまでと定めるのかを始め、不貞行為も含めDVなど私に対しての慰謝料を支払う確約をきちんと決めておきたいところだという事を伝えた。もちろん私の要求金額がいくらなのかという事も聞かれ、はっきりとその金額は難しいと言われた。だが、弁護士の先生と相談した中で、始めから確実にもらえるであろう安全な金額を提示すると、相手側はそこから更に金額を落として交渉しに来るだろうと。なので、無理を承知で根拠と合わせて金額を提示したのだ。

子ども達がきちんとした生活を送れる金額の養育費を払ってもらえないようなら、最悪私が親権を手放して配偶者に委ねることも考えているという事も伝えた。

自分の周りを見ても、離婚して子どもを引き取ったはいいが生活が苦しくて子どもと一緒に居てあげることが出来ずかえってかわいそうな状況を作り出している家族も少なくなく見てきている。自分が子ども達に同じような状況を作ってしまうのなら、子ども達と一緒に暮らしたいと言う自分の気持ちはこの際捨てて、子どもにとって良いのはどちらか?を最優先に考えなければいけないと思った。ただ、子どもにとって良いと言うのは金銭的生活においてなのか、心の安定なのか・・・という話をしているところで、相手が来たと連絡が来たので交代となった。

 

時間は1人30分ずつで交互に2回。トータル2時間を目安が1回の時間となる。

私の1回目の時間が終了となり、待合室で約30分自分の番を待つ。

この間に、自分が何を伝えたいのかを改めて整理して戦闘態勢で待っていた。

45分くらいして、待合室に調停員さんが私を呼びに来た。

私は、調停員さんと一緒に部屋へ入る。

相手からの話も聞き、相手も離婚を望んでいる。なので、円満調停ではなく離婚調停として進めた方が良いと言われた。

離婚調停として進める事には問題ないが、もう一度必要書類を用意して、申し立てし直して、また2か月待ってから調停が新しく始まるのは避けたいと伝えた。

なぜなら、今日までの2か月が意味のないものになってしまうから。

調停員さんもその気持ちを汲んでくれて、裁判官に話をしてくれた。

調停員さんが裁判官と話をしてくれて、申し立ては円満調整だったが、ここで離婚調停に切り替えて話を進めましょうということになった。

前向きな対応に感謝した。

離婚をするにあたって、親権をどうしたいのかという話になった。

もちろん、親権は私が持ちたいし子ども達と暮らすのは私の方が良いという事は伝えた。

なぜなら、配偶者は私や子どもに手を上げることもあったし、新しい出会いを求めたいと言っていたから。ということもしっかり伝えた。

そんな状態で子ども達と一緒に暮らしても子ども達に寂しい思いをさせてしまう事は目に見えている。

また、配偶者は家を出てから今現在も義理母さんと一緒に暮らしていて一向に自立して生きていこうという姿勢が見られない。

そんな状況で子どもたちを配偶者に任せたら、配偶者は義理母さんに子ども達を全て任せ、自分は仕事だと嘘をつき好き勝手するだろうと思った。そんな自分勝手は許せない。

 

子ども達のことの次に話をまとめなくてはいけないことは家の事。

我が家はまだあと25年住宅ローンが残っている。

私は 離婚=家も手放す だと思ったいたが、配偶者は長男に残すと考えていたようなので、手放さないならそれでもいいが共同名義から私を外してもらいたいという事は伝えた。

その辺で私の時間が終了となり、配偶者が話す時間となった。

私はまた待合室で30分待った。

配偶者は、子どもと一緒に暮らしてもいいと言ったそうだ。

まあ、できるならやればニヤリ口だけのくせにてへぺろ

家はやはり、手放す気は無いようだがローンがいくら残っているのかなどを話すために次回ローン返済票と不動産登記簿謄本、源泉徴収票をもってくるようにと言われた。

そして、その場で次回の日時を決めて解散となった。

 

ちなみに、長男はこの家を託されて嬉しいのだろうか?

とても辺鄙なところなので、バスは1時間に1本が良い方で土日になると2~3時間に1本しか来ない。

車が必須の生活となるあせる小学校は学区内のところへ通ったが、学校まで歩いて50分ガーン

中学校は町中の学校へ越境している。自転車で通学しているのだが、普段遊ぶメンバーはもちろん中学校の友達だ。これから高校へ進学すれば自転車なり電車なりでの通学となり、友達はその時々の環境の友達で、どんどん自宅から遠方の人たちとなるだろう。将来就職を実家近くでと言ってもこの近辺ではどうだろうか?結婚をして子どもが成長したら、自分と同じ気持ちで子どもを小学校へ片道50分かけて通わせることに抵抗はないのだろうか?と考えると、長男のために!と言っている配偶者は一見とても子ども思いでいいお父さんに感じるかもしれないが、本当にそうなのだろうか?子どもがこの家を欲しいと言ったのだろうか?子どもが託されて本当にうれしいと感じるかどうか考えたことがあるのだろうか?良いお父さんと思われたくて言っているだけなのではないだろうか?

 

このころから、次男の頭痛や腹痛が週に1回ぐらいのペースで始まった。担任の先生との相性が少しよくなかったり登下校の距離が長いので、長男も同じぐらいの時に朝、登校班で行けないことが有ったのを思い出して、学校まで送ってあげるから!さぼらず行くよ!等と声を荒げる日が多々あった。

今振り返れば、あれが子どもなりの精いっぱいの「意見申し立て」だったのに私は軽視してしまった事に今も反省している。