昨日、ムテキノちゃんのfacebook記事を読んで、おぉぉ!?ときづいたのである。
私は私のことがあまり好きでなくて、アダルトチルドレン的な要素もたっぷりだし、自己否定型の人間だと思っていた。
でも、脱ステロイドして、ドロドロアトピー地獄を経験し、夫に出会い、ジェムリンガと須佐厳さんに出会い、生まれ変われた。
私、変われた!!と思ってたよ昨日まで。
でも・・・・
私は、「わたしがわたしであること」が一番大切だったんだ!
「わたしがわたしであることに執着していた」
そうなんだ。
小さいころからそうだった。
私はなんかみんなと違う、ということには小さいころから気付いていた。
周りの女の子たちが好きだったり、キャピキャピ楽しんでいることが、私は全く楽しくないことが多かった。
それでも小学生くらいまでは、周りと一緒じゃないとおかしいかな、と思うところもあったから、光GENJIが好きだった時もあったよ。でもあえてあんまり人気のないメンバーのことが好きだと言ってみたりして(笑)
中学高校になるにつれて、みんなと一緒である必要性がないことに気付いて、だんだんどうでもよくなってきた。人生でみんなとワイワイつるんで楽しんだのは、高校の部活だけだったけど、それも楽しかったことは楽しかったけど、無理してる感はあったな。
トレンディードラマもバラエティ番組も興味ないし、かわいい服にも興味ないし、女性誌なんて買ったことないし、合コンもいかないし、ディズニーランドも行かない。
大人気シリーズの映画や、ベストセラーと言われる本を読んでもまったく面白いと思えないことがほとんど。
私が好きなのは、周りのだれも知らないマニアックなアーティストのライブに一人で行ったり、バイクで一人ツーリングしたり、犬と散歩したり、夏目漱石とかドストエフスキーとかを「ぬおー!?」と思いながら読みふけること。
そう、そういう、変で、みんなと違う自分っていうのが、私、意外と好きだったんだ。
あげくに、ここ3年くらいが「わたしがわたしであること」の極めつけだった。
生活を変えて、習慣も変えて、食べ物も変えて、薬をやめた。
肉を食べなくなるにはイロイロ葛藤もあったし、壁もあったけど、いやだからやめた。
それだけ。
薬もいやだからやめた。
アトピー治りたいからやめた。
人がどうこうとか関係ない。
わたしはわたしでありたいから、わたしがやりたいと思うことをやった。
それによって人づきあいがどうとか、生きずらくなるとか、そういうことより、わたしがわたしであることのほうが大切だったんだ。
恋愛したい、結婚したい、とかよりも、自分が自分であることのほうがずっと大切だったんだ。
そしたら、恋愛とか結婚とかなんも努力してないのに、いつの間にか全部あったんだ。
しかも、出会った相手は生活習慣、使うもの、食べるもの、ほとんど価値観一緒で、肉を食べないとか、薬を使わないとか、普通理解されないようなことを、一つも説明する必要のない人で、さらにその家族まで同じく理解してくれる。
そっか、「まず自分を愛する」とかって意味わかんない、自分なんて愛せない、って思ってたけど、私、自分のこと愛してんじゃん。もともと。
だから愛してくれる人があらわれて当然だったんだ。
すごいことに気づいちゃった♪
ムテキノちゃんありがとう(^^)
以下ムテキノちゃんのfacebook記事 ↓
まさにコレ!!!!と思ってJRの中で読みながら感動したよ。
どんどん楽やね!(^^)
幸せな恋愛や結婚をするために努力した記憶のないわたしは、恋愛
じゃないと「幸せな恋愛・結婚をするためには」みたいな文章とそ
わたしの恋愛・結婚がうまく行ってる理由、あえて説明してみるな
これってよくいう「結果に執着しない」ってやつだね。
じゃあなんで結果に執着しないことができていたのかというと、「
よくわかんないけど、世の中の人は「自分が自分であること」にそ
恋愛とか結婚とか仕事とかの方を「自分が自分であること」より上
ミステリー!その考えが生まれつき「なかった」!!
わたしからするとそういう人たちが長年うらやましくもあったよ!
わたしみたいなやつ、ほんとーに「クズ」扱いだから!(愛のない
でもひたすら「自分が自分であること」に執着してたら、なんも努
びっくりだ!これぞ大逆転ってやつか!?(いや、「敵」などそも
「自分が自分であること」も、執着になってるうちは色々うまく行
そうやって、「誰がわたしを愛さなくても、わたしだけはわたしを
今は「そこまで頑張らなくても自分であることができる」方向にシ
わたしがわたしを愛しているのは当然だし、そんなわたしを愛する
どんどん楽やね!