開運法と聞くと、
特別な方法を思い浮かべる人は多いかもしれません。
占い
パワースポット
縁起物
方位術
もちろん、
そういうものを楽しむこと自体は悪くありません。
気持ちが明るくなったり、
背中を押されたりすることもあるでしょう。
けれど、
もし究極の開運法を一つだけ挙げるなら、
私は迷わず自身の健康だと思います。
究極の開運は、健康です。
これは比喩ではありません。
健康は、運を直接呼び込む魔法ではありません。
けれど、健康な身体は運を受け取る器そのものです。
どれだけ良い話が来ても、
身体が弱っていたら動けない。
どれだけ良いご縁があっても、
心が疲れ切っていたら受け取れない。
せっかくの機会が目の前に来ても、
反応する力がなければ、
それは通り過ぎていってしまいます。
つまり、
健康でなければ運は生かせないのです。
健康な身体というのは、
良い出来事を無理やり引き寄せる力というより、
来た出来事を
良い方向に処理できる状態をつくることなのだと思います。
何かが起きたときに、
落ち着いて受け止められる。
必要な判断ができる。
動くべきときに動ける。
休むべきときに休める。
その土台にあるのは、
やはり健康です。
だから、
運がいいとか悪いとかを気にしすぎる前に、
まず自分の身体と心が整っているかを見たほうがいい。
眠れているか。
食べられているか。
呼吸が浅くなっていないか。
ずっと緊張し続けていないか。
そういうことのほうが、
実はよほど現実を左右します。
健康を整えることは、
運を整えることです。
大事なことなので何度でも言います。
ここを飛ばして、
どれだけ開運を求めても、
空回りしてしまいます。
身体が乱れていると、
考え方まで乱れやすくなり
小さなことが必要以上に怖くなる。
まだ起きていないことまで悪く想像する。
慎重さではなく、
恐れから動くようになる。
恐れを土台にした行動は、
一見、自分を守っているようでいて、
恐れをベースにした未来への道を
自分で作っているようなものです
たとえば、
暑い時期でもずっとマスクをしている人を見て、
私はときどき考えることがあります。
この人は、
何を恐れているのだろうと。
感染症かもしれない。
人の目かもしれない。
素顔を見せる不安かもしれない。
もう外せなくなった習慣かもしれない。
もちろん、
そこにはそれぞれの事情があります。
体調のこともある。
仕事上の都合もある。
家族を守るためということもある。
だから、
一概にどうこう言う話ではありませんが…
でも、もしそこにあるのが
自分で選んだ感覚ではなく、
外側の恐怖に押されて続けている反応なのだとしたら、
その状態は、あまり健康的とは言えないでしょう。
本当に健康であるというのは
何を恐れるべきで、
何を恐れなくていいのか。
何を避けるべきで、
何を気にしすぎなくていいのか。
それを、自分の感覚で見極められることです。
ただ怯えるのではなく、
ただ流されるのでもなく、
必要なときに必要な選択ができること。
それもまた、
健康の一部なのだと思います。
健康は、筋肉があるとか、
病気をしていないとか、
そういうことだけではありません。
心が必要以上に怯えていないこと。
思考が恐怖に支配されていないこと。
自分の状態を自分で感じ取れること。
そういう全体が整っていてこそ、
人は運を受け取れるようになる。
開運というと、
何か外から特別な力を足そうとしがちです。
けれど本当は、
足す前に整えることのほうが先です。
ここは、はっきり言っていいと思います。
開運の本質は、
外に何かを求めることではなく、
自分という器を整えることです。
弱った器では、
良いものが来てもこぼれてしまう。
乱れた心では、
せっかくの機会も疑いに変わってしまう。
だからまずは、健康なんです。
しっかり眠る。
きちんと食べる。
身体を冷やしすぎない。
呼吸を深くする。
不安に飲まれすぎない。
ただそれだけです。
そういう当たり前のことが、
結局はいちばんなんです。
地味だけれど、本当に大事。
運を上げたいなら、
まず健康を軽く見ないことです。
健康は、
運を呼ぶ飾りではありません。
健康そのものが、
開運の土台です。
いや、土台というより、
健康こそが開運そのものなのだと思います。
究極の開運法とは、
何かを足すことではなく、
自分という器を整えること。
占いよりも、
縁起物よりも、
必要な栄養を摂り
しっかり眠ること。
パワースポットへ行く前に、
自分の身体をちゃんと休ませること。
運が悪いと嘆く前に、
自分の心と身体が弱り切っていないかを見ること。
そこを整えずに、
本当の意味で運が開くことはないでしょう。

