パリ五輪、盛り上がってきましたね!朝起きて見るのが楽しみです
男女共どの競技でも、ビジュアルが良い人ばかりになってきた感じがする
さて、ウクレレサークルの方は。
先月渡された曲は、「風になりたい」です。
ウクレレサークルでは2カ月で1曲仕上げます。最初の月はいきなり楽譜を渡されるので、そのまま実力が出る!笑
前々月までに比べ、新出コードが多すぎて、私は全然弾けませんでした
Em,Gm,Dm...私にとっては突然難易度が上がった><
終わってから8月に向けて、4月にカラオケルームで教わった先生に再び連絡を取って
1時間教わってきました!その後は毎日、猛練習に励み(10分位)
真ん中の3小節以外は弾けるようになりました。
真ん中3小節にジャカジャカ続いて出てくるコード、
G,Cm7,Fと、B♭M7(何コレ?)は、私は今回弾けないままで、見送ることに。
そのうち出来るようになれば良いか、って~
今月のサークル日が楽しみです
最近読んだ本は。
突発の内職の締め切りと重なってしまい、大急ぎで雑読みになってしまいましたが。
公開中の「もし徳」読みました。
眞邊明人『もしも徳川家康が総理大臣になったら』
歴史に疎い私にも人物・事件等の注釈がその都度ついていてわかり易く、人物に親近感が持てました。AIやコロナ禍も関係してきたり、ミステリーでもあって面白かったです
監督は竹内英樹、「テルマエロマエ」や「のだめ」を手掛けた方だそうで、両作品とも私は凄く面白かったので、映画も見に行こうと思います。
「オッペンハイマー」も見たかったけれど、上映3時間というのがネックとなって..
もう1冊はニュースで見た英リバプールのダンス教室の事件に衝撃を受け、
複数の被害者の子供達で思い出した事件です。図書館で借りました。
岡江晃『宅間守精神鑑定書 精神医療と刑事司法のはざまで』
2001年の池田小事件の犯人の精神鑑定をなさった精神科医の著書です。
犯人鑑定結果の、共感力の欠如、空想癖・自己中心性・攻撃衝動性といった、際立った「情性欠如者」という点には納得がいきました。
ではこのような人物にならないようにするにはどうすれば良いのだろう。
個人的には、残虐な事件を起こすことは普通の精神状態の人に出来ることではなく、つまりそれだけで精神的に問題があると言えるのでは、と思ったりもするのですが、
全部それで終わらせることは当然許されることではないです。
犯人の責任能力の鑑定には医師という立場上からも、タイトルにあるとおり、刑事司法との間で、大変な重責を担っていたことと思います。
あとがきの最後の文、「私はたとえ何人もの精神科医が何度も精神鑑定をしたとしても、私たちと同様に、宅間守には責任能力があるという結論になるだろうと確信しています。とはいえ、この精神鑑定書が死刑判決を後押ししたことは間違いないでしょう。そのことも含めて私は、宅間守の魂が安らかに眠っていることを祈っています。」には非常に考えさせられます。
犯人の幼児期からのことも綴られており、ここでこのような短文では、更には私の表現力では書き表せない本でした。
本ということで、みかんの読書の絵日記を載せて終わります~
小5の6月です。
私は今日『あのころはフリードリヒがいた』という本を読んだ。この話はユダヤ人のお話だ。「ぼく」が住んでいるアパートの部屋の真上にフリードリヒは住んでいた。ユダヤ人はく害が始まると、フリードリヒの家族がつれさられていった。帰ってきたフリードリヒをぼく達の部屋の中に入れた。その時、ばくげきが始まり、ぼく達はぼう空ごうへ行った。フリードリヒは入れてもらえず、外でこめかみをうたれ死んでしまった。ユダヤ人はく害が始まったのは、ユダヤ人がキリストを本当の救世主であると信じず、いかさましの一人だと思い、十字かにかけることにつながったからだ。
けれど私はこう思う。十字架かにかけたとしても今住んでいるユダヤ人がやったわけではない。それにユダヤ人は信じている宗教がちがうとしても同じ人間だ。どうして同じ人間をはく害できるのだろうか。ユダヤ人の命を物あつかいしている。同じ人間なのに、ユダヤ人だけがしゅうよう所に行かないといけなかったり、他の人と同じ所で遊んではいけなかったりすると決めた人間の方が、更生し設に行く身だと思う。
フリードリヒのたん任だったノイドルフ先生の意見には、さん成できる。学校がちがっても、先生が言ったようにフリードリヒのことを思い、仲良くしてもらいたいと思った。フリードリヒが死んでしまった時は悲しかったのと、ぎゃく待した人がにくいと思った。今の日本は色々な人がいて、色々な宗教を信じることができるのはとても良いことなんだなと感じる。どこの国でも色々な人がいてもいいんだと心得てほしいと思う。
先生のコメント(は先生) 今の日本でも気をつけないとだれかだけ、ある宗教の人だけを差別する可能性がありますね。
娘たちは読書が好きだったかというと、特に嫌いでも好きでもなかったんじゃ..。
隙を見ては本を読む、ということはなかったですが、
読みたい時は別に抵抗なく読む、図書館に連れて行けば読みたい本は探してきて読む、位の感じでした。
ちなみにパパは、読書は絶対嫌いです!