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ブーケ1   ちょうちょ   ブーケ1

 

ご体調は如何でしょうか。大丈夫ですか。

私はいろいろあり、1月は本当に倒れると思いました。薬の副作用で夜はあまり眠れなくて、逆に、朝は眠くなります。睡眠薬を服んでも。朝食を食べると時間がかかりますので、食べません。ランチタイム時にだいたい食べないで、オフィスビルのラウンジで横になるという状態でした。おかげさまで何とかなりました。

睡眠、食事、外出⇨太陽を浴びること、体操や運動は大事です。

やっぱり健康は第一です。

朝ごはんを食べるのは大事ですね。何とか食べるようにします。

 

今日はタルヌフ市の他の歴史的なところを紹介したく存じます。前回は主に市庁舎と旧市街広場について書きました。しかし、見る価値のある場所はまだまだ多いです。

タルヌフは、昔の多くの都市と同様、城壁に囲まれていました。最も古い城壁の断片は14世紀のものです。16世紀に城壁は拡張されました。記録によると、当時タルヌフには9つか10つの塔(バステイ)、4つの門、そしてフルタfurtaと呼ばれる小さい入り口(ドアみたいなもの)が10ほどあったといいます。街は要塞都市として建設されました。1655年の「スウェーデン大洪水時代」*にタルヌフは大きな被害を受け、たくさんの貴重品が盗まれました。18世紀には防壁が修復されたが、その後、改修の資金がなく、要塞は劣化し始めました。18世紀後半、ポーランドはロシア、プロイセン、オーストリアによって分割され、タルヌフはオーストリアの支配下に入りました。オーストリアの命令でポーランドの都市の城壁を取り壊すことになりました。また、タルヌフは都市としてどんどん拡大していったので、城壁は一種の妨げになりました。第二次世界大戦後、町の歴史に関心を持つ歴史家たちが、現存する城壁の一部を修復を始めました。堡塁側防塔と半堡塁は現在まで残っています。“城壁のルート”を歩きながら、見学する価値はあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旧市街では市庁舎が重要だが、美しい歴史的家屋も多いです。主にルネサンス様式やネオ・ルネサンス様式で建てられた旧市街広場の長屋は、その建築様式や装飾で目を引きます。広場の南側、7番の家はタルヌフ・ビジター・センターの本拠地であります。そこでは安く、素敵な部屋を借りることができます。私はそのうちのひとつに泊まりました。広く、清潔で、とても気に入りました。ロケーションは最高です。おすすめします。リンクは以下です:

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旧市街広場の東側、14番の建物にはホテルもあり、美しいスタイリッシュなレストラン「U Janaウ・ヤナ」があります。そこで朝食と昼食をとりました。料理は豊富でとてもおいしいです。18世紀後半、このビルにはタルヌフ初の王立郵便局が入っていました。

 

私はそんなに食べないので、以下は朝食の半分です。

半分だけくださいと頼んだからです。実はその2倍出ます。

 

 

 

 

 

 

 

 

もちろん、マーケット広場に面している建物だけでなく、旧市街のどのビルも、時間があればじっくりと見る価値があります。そのうちのいくつかについては、また別の記事で書きたいと思います。

戦前、タルヌフ市には非常に多くのユダヤ人が住んでいました。だからシナゴーグもありました。戦争中、取り壊されました。ビーマーだけが残り、修復されて、その上に屋根が設けられました(雨や雪などのために被害を受けませんように)。ユダヤ人墓地はまだあります。昔、ユダヤ人地区があったため、ユダヤ人が住んでいた家も現存しています。1997年に作られた記念プレートがあり、こう刻まれています: 「1942年6月、独軍はタルヌ市のユダヤ人の虐殺開始した。殺害された数千人の血が舗道を流れた」。

 

 

 

タルヌフには美しい教会がいくつもあります。その中で最も重要なのは、聖母マリア降誕大聖堂です。外観も内部も本当に美しいです。大聖堂については別稿で紹介します。

レンガ造りの教会だけでなく、木造の教会も存在しています。そのひとつが聖母マリア被昇天教会です。もともとは15世紀半ばに建立さられました。17世紀に火災に遭い、修復されました。内部は壁画と彫刻で飾られた美しい教会です。ポーランド南部には、いわゆる「木造建築街道」があります。私の母国は、歴史的な木造建築が数多く残っています。いくつかの木造教会はユネスコ世界遺産として登録されました。

 

 

 

タルヌフ市は、ポーランドの国民的英雄ユゼフ・ベム将軍の故郷であります。ベムは1794年3月14日に生まれました。 元の生家は残っていないが、同じ場所に建てられた建物に記念のプレートがつけてあります。正確には、プレートが2枚あるのです。一つはポーランド語で、もう一つはハンガリー語で書かれています。なぜかというと、ユゼフ・ベム将軍はポーランドの英雄だけではないです。彼は、1848年から1849年にかけて行われたハンガリー革命の大将(総司令官)であり、オスマン帝国軍の元帥でもありました。ベム将軍はポーランド、ハンガリーおよびトルコの国民的英雄です。海外で亡くなったが、彼の遺骨はポーランドに運ばれ、霊廟兼墓に納められました。この霊廟はストゥシェレツキ公園にあります。霊廟の上部にはユゼフ・ベムの遺骨を納めた棺が置かれています。これはポーランドで唯一の「空中墓」であります。ユゼフ・ベム将軍については、別の記事で紹介します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

セイヨウトチノキの実

 

 

 

 

 

 

 

公園の話が出ました。タルヌフには公園や緑地がたくさんあります。郊外のグムニスカ地区には立派な公園があり、かつての町の所有者であったサングシュコ公爵の宮殿があります。宮殿は19世紀に古典主義様式で建設されました。第二次世界大戦中、ドイツ軍はこの宮殿に駐在しました。戦後は国有化され、学校の校舎となりました。

 

 

 

そして最後に、書かなければならない非常に重要なことがあります。サングシュコ公爵宮殿の近辺に、ポーランドで最も暖かい場所があるのですよ。ポーランドの「熱極」です。平均気温は8.8℃とポーランドで最も高いです。気象学上の夏期間は118日間にも及びます!そのため、タルヌフ周辺では美味しい野菜やブドウが育ち、美味しいワインが造られます。詳しくは次の記事で書きます。

引き続きよろしくお願いします!

お大事になさってください。

 

 

この動画を是非ご覧ください:

 


「スウェーデン大洪水時代」*に関するリンクは以下です:

 


ユゼフ・ベム*に関するリンクは以下のものをご参照ください: