皆様、こんにちは。

このブログにいらしていただき誠にありがとうございます。

 

 

今日は、日本に縁のあるポーランド人について、少し書きたいと思います。彼のことをご存知の方もいらっしゃるかもしれません。マクスィミリアン・コルベ神父であります。(日本の方はマキシミリアノと書くみたいです。)

 

丁度今日はコルベ神父の命日です。1941年8月14日、アウシュヴィッツ(アウシュビッツ)強制収容所で殺されました。

 

1927年にワルシャワ近郊(ワルシャワから西へ約40km)の耕作されていない畑に Niepokalanów ニェポカラヌフ(”無原罪の場”の意味)という修道院を設立しました。

 

1931年から1935年にかけて、日本で宣教活動を行いました。1931年には彼の主導で、長崎にて「無原罪の園」フランシスコ修道院が建立されました。

 

1941年5月28日、アウシュビッツ強制収容所に送られ、収容所番号16670を付与されましたた。

 

1941年7月29日、収容所での点呼の際、死刑囚10人の中にいた囚人仲間と引き換えに、自ら餓死を選択しました。

点呼の後、マクスィミリアン神父を含む10人の収容者は11番ブロック(死のブロック)に導かれ、裸になることを命じられ、地下室に閉じ込められました。

 

コルベ神父は、1941年8月14日、収容所の医務室長から毒物フェノールを注射され、死亡しました。

ブルノ・ボルゴヴィエツ氏は、その時の様子を次のように語っています:"コルベ神父は座ったまま壁に寄りかかり、目を開け、頭を片方に傾けて死亡した。"   彼の遺体は収容所の焼却炉で焼かれました。

 

コルベ神父は1922年1月からは、クラクフで月刊(後ほどは週刊)『無原罪の聖母の騎士』を発行するようになりました。日本でも同じく日本語の『無原罪の聖母の騎士(聖母の騎士)』を出版し始めました。

 

コルベ神父は1982年に教皇ヨハネ・パウロ二世によって列聖されました。

 

コルベ神父の詳しい生涯は以下のリンクにてお読みいただけます:

 

 

 

※アウシュヴィッツ(アウシュビッツ)はポーランド語では Oświęcim オシフィェンチム といいます。収容所の隣に(逆に言ったほうがいいでしょう)オシフィェンチムという町があります。でも、オシフィェンチムというとポーランド人は収容所を連想します。Auschwitz-Birkenau というドイツ語の単語は普通は言い出しません。恐ろしすぎます。

 

ポーランドに住んでいたときは、ツアーガイドの仕事もしていました。日本のカトリックの巡礼ツアーのガイドもしました。マクスィミリアン・コルベ神父のゆかりの地などを巡りました。

コルベ神父の生涯に興味を持ち、それを研究していた小崎登明という日本の修道士をご存じかもしれません。小崎修道士は日本のカトリック信者と一緒にポーランドに巡礼に数回行ったことがあります。私は彼らと一緒に聖地やコルベ神父ゆかりの場所を訪れ、案内や通訳をしました。小崎登明修道士は去年の4月に亡くなられました。

 

小崎修道士に関連するリンクは以下です:

 

 

 

 

厚さが続いていますので、ご身体にお気をつけてください。

 

 

 

 

ニェポカラヌフ修道院

 

いわゆる”旧礼拝堂”は、ニェポカラヌフで最も貴重な建築物

のひとつとされています。

1927年秋に建設されました。

95年前、1927年8月6日、マクスィミリアン・コルベ神父は、

以下の聖マリア像を設置しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中庭からの全景

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

礼拝堂の内部

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マクスィミリアン神父が1927年から1930年まで暮らした修道院の独居房

(別の建物にもう一つの独居房もあり)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Niepokalanów ニェポカラヌフ修道院の”無原罪の聖母堂”は、

1948年から1954年にかけて、モダニズム様式で建てられました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聖マクスィミリアン・コルベ神父の礼拝堂

 

 

 

 

 

 

 

聖堂のドアは、24枚の銅製レリーフが飾られている。

そのうちの一つには「Nagasaki, Japonia (長崎、日本)」と大浦天主堂が

刻まれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コルベ神父に関連する展示もあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下はアウシュヴィッツ(アウシュビッツ)強制収容所

 

いつも点呼が行われたところ。

この広い道および横の道に沿って(左側は集団絞首台)

 

 

 

 

 

 

 

コルベ神父は、「その人の代わりに殺されてもいい」と言い出したときは、

以上の右の建物の前で立っていました。一部しか写さなくて、申し訳ございません。

そのビルに記念のプレートがつけてあります。

 

 

 

 

 

 

 

”死のブロック”(左側は”死の壁”があり)

 

 

 

 

 

 

 

コルベ神父が殺された地下室

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真はもっともっとありますが数千枚なので、全てはチェックできなかったです。整理をしないといけませんし。できるだけ紹介いたします。

 

引き続きよろしくお願いいたします。