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皆様、おはようございます。

 

キラキラ   流れ星   星

 

今回は、少し悲しい話です。福島県郡山市出身の、私の友人のお嬢様について書きたいと思います。実は、その子が他界へ旅立ちました。阿部華子ちゃんという人です。もしかしてテレビとかラジオのニュースでお聞きになったかもしれません。

 


年末年始時期に戻ります。12月31日に、華子ちゃんがサンフランシスコで発生したひき逃げ事故で亡くなった知らせをもらいました。最初聞いたときは、聞き間違いだと思いました。事実ではないにちがいないと言い出しました。どのように表現すればいいかわかりません。ショックを受けて、動けなくなって、絶望で叫びました。私の叫び声で隣人がびっくりしたと思います。でも、自分の気持ちを抑えられなかったです。運命に対してのすごい怒りも感じました。ご遺体は大変な状態だったそうです。誰かどうか確認しにくかったみたいです。即死ではなくて、事故発生1時間後にご逝去。それを考えると、華子ちゃんが亡くなるまでに意識していたなら、どんなに苦しんでたでしょう、何を考えてたでしょう、想像でもできません。

 

 

死亡した報知をもらった時点では、華子ちゃんのご遺族は、娘さんが亡くなったことをまだ知らなかったです。私自身がショックで動けなかったけれども、何とか頑張てそのことをお母様に伝えなければならないようになりました。でもやっぱり、直接「亡くなった、生きていない」と言えないです。「息していない」と言い、なんとか伝えましたが自分も表現できないほど苦しかったです。だって、子どもが生きていないのを親に伝えることです。

 

 

ご遺族を助けてあげないといけなかったので、少しでも役に立つためにアメリカのテレビなど用の通訳・翻訳し、サンフランシスコの警察官協会会長とのやりとりなどをしました。

 

 

華子ちゃんはわずか27歳の女の子で、すごく素敵で、いつも親切で、とても優しい人でした。無限の良さ、やさしさで満ちた心を持っていた人でした。【使う表現は日本語にはないかもしれませんが私が感じることです。】“でした”過去形を使用し、書いているがなかなか書きにくいです。ずっと信じられないことですから。若くて、人生がはじまったばかりで、様々な希望を持っていたでしょう。なんで、なんで、何回もなんでと運命に訊き続けるだけです。涙が止まりません。今は天国で幸せでしょう。

 

 

華子ちゃんの笑顔を思い出すと耐えられません。悲しさで心が破裂してしまいそうです。彼女は友達の娘でしたが、私の娘のようでもありました。ご逝去から数ヶ月経ちましたが私はずっと彼女のことを思い出したりします。人生が続いていかないといけないですが或る人間、或る出来事は心の中に強く残ります。人によるかもしれませんが私はそうです。お葬儀時にいただいたお花(プリザーブドフラワー)は“華子ちゃんの記念”になっていて、そのお花を見ると華子ちゃんの笑顔を思い出します。

 

 

華子ちゃんは郡山市で生まれて育ちました。日本大学東北高校に通いながらたくさんの夢を持ち、その夢がどのように実現すればいいか考えていました。英語の勉強をしたくて、アメリカだったら、上手になれると思って、そこでの留学を目指していました。頑張り屋さんで、一生懸命に勉強していました。日本の学校を卒業してから、映画にご興味があったため、アメリカのケンタッキー州にあるキャンベルズビル大学のマスコミュニケーション部に入学しました。最初は他国で、確かにいろいろ難しかったが諦めなかったです。

 

 

同年、2011年の12月に私のワルシャワのところに来てもらいました。3月11日に東北地方太平洋沖地震が起きましたので、日本ですとクリスマス及びお正月も楽しく過ごせないし、ご家族も損害を受けたし、ポーランドで滞在したほうが良かったです。そのときは初めて会いました。とても落ち着いていて、やっぱりちょっと恥ずかしくて、静かな子でした。華子ちゃんと一緒にあっちこっちドライブや見物したり、私の親戚や友達のところへ行ったりしました。ポーランドで楽しく過ごせたみたいです。

 

 

華子ちゃんはキャンベルズビル大学で学びながらも、やっぱりもう少しハードに勉強しようと決め、アーカンソー中央大学に編入しました。彼女の熱心さは感心しています。良い成績が得られて、優秀な学生でした。アーカンソー中央大学を出てから、立派な会社であるJLLに入社し、サンフランシスコに移住しました。仕事が頑張って、いつも上司に褒められました。

 

 

アメリカにいたことにかかわらず、いつも郡山のことが頭に入っていました。華子ちゃんと話すたびにいつも出身地、日本にいる家族や友達のことを話してもらいました。華子ちゃんはいつも自分よりも先ずは他人のことを考えていました。事実です。そのような人がいっぱいはいないと思います。福島県郡山市は素敵な人を生みました。

 

 

なぜ良い人が早く亡くなると私は考えることが多いです。まあ、天国にはよい人のほうが必要でしょう。とこのように思うと少しぐらいは納得しますがやっぱり完全な納得はできません。人間が生きていて、急に居なくなります。この世の中に居ないわけです。この現実を受け入れるのが難しいです。華子ちゃんとはお会いできなくなりましたが彼女のことは私の心の中に残っています。

 

 

人間はいつ亡くなるかわかりません。確かにこの世の中にいろいろな人がいます。酷い人、嘘つき、ずるい人、あらゆる犯罪者。勿論、愛せない人が結構います。

でも日本語に訳すと少し変でしょうが、申し上げたいのは「人々をできるだけ愛するのを急ぎましょう、早く去ることもありますので」ということです。今日は「小さな親切の日」なので、華子ちゃんについて書きたくなりました。彼女と知り合えたことに感謝しています。

 

 

悲しい内容のテキストで申し訳ございません。

 

赤薔薇   ラブラブ   赤薔薇

 

 

 

 

 

 

以下は事故に関するニュースのリンクです。アメリカのものなので英語です。ご覧になりたい方がいらっしゃるかもしれません。アメリカ、特にカリフォルニア州では結構大事なニュースになっていました。

 

 

 

 

 

私は外人で、変な日本語の場合、ご訂正及びご教示をお願いいたします。